※本作品はゲーム『トゥルー・ラブストーリー』のキャラクターと設定を使用しております。
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トランス・ラブ
ストーリー
〜第１３回「１８日目 月曜日」〜
作：こうけい
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１ お兄ちゃんとわたし、本当は血がつながってないのよ ▼
「お兄ちゃん、ちょっと入るね？」
夜。わたしがベッドに入ろうとしたところに、みさきちゃんの声がした。
「いいけど、なんの用？」
「大切なお話があるの」
黄色いパジャマ姿のみさきちゃんは、だいぶ思いつめた表情だった。
ベッドから出て立ち上がるわたし。すぐ見下ろす位置に、みさきちゃんがいる。
「一体なんだよ？ 大切な話って」
変に心臓がどきどきしてきた。
「実はね、ずっと黙ってたけど、お兄ちゃんとわたし、本当は血がつながってないのよ」
ええっ？ みさきちゃん、いきなり何を言い出すの？
わたしはあなたのお兄さんで、ううん、桂木綾音で、本当は女の子だし！ そう言おうとしても、言葉が出てこない。
そんなわたしに構うことなく、みさきちゃんがもたれ寄ってくる。なんだか息も荒い。
「お兄ちゃんは、わたしのこと、どう思ってるの？」
「どうって、みさきは妹じゃないか」
「やっぱりね。でも、わたしはそれじゃ嫌なの。いつのころからかわからないけど、わたし、お兄ちゃんを男の人として意識するようになったんだ」
「お、おい！」
「それに、血だってつながってないし。結ばれてもいいのよ、わたしたち！」
「何言ってるんだよ、みさき！？」
動揺する言葉とは裏腹に、わたしの息は荒くなる一方。下半身にも力がみなぎってくる。
破裂しそうなほど高鳴る胸が、みさきちゃんをうずめた。
「お兄ちゃん、好きっ！」
「みさきっ！！ ああっ！」
もう無我夢中のまま、わたしは両腕でみさきちゃんを抱き寄せる。
すごい。今まで感じたこともないような興奮がわたしを襲う。
だめ！ でも、がまんできない！
おなかの下のほうから、弾けそうな快感が湧き上がってきた！
とたんに意識が白くなっていって……。
窓の向こうに、何日ぶりかの青い空が見えた。
なんて夢、見たんだろう。
昨日のことがあったからかしら。
考えてみれば、変だと気づくはずなのよね。
だれも聞き耳をたててないところなら、みさきちゃんはわたしのことを「お兄ちゃん」じゃなくて「桂木先輩」ってって呼んでるはずなのに。
わたしだって、なぜか自然に男言葉使ってた。
だけど夢の中にいると、まるでそんな違和感を覚えないものなのね。
おなかの下のほうが、ひんやりとしてるのに気づく。
もしかしたら。パジャマをずり下ろす。やっぱり、ブリーフが濡れてた。
またやっちゃったんだ……。
２度目か。
机の上から冷静にティッシュの箱を持ってきて、わたしが出した半透明な液体を冷静に拭きとる。
もう、目なんてつぶらない。自分の体についてるものなんだから、珍しくも怖くもないじゃないの。
それがこうなることだって、元気の証なのよね。
なにか思い出しそうになったけど、すぐにどこかに消えていった。
▲ ２ あーあ。これが朝山くんの実力なのね ▼
あーあ。せっかくの快晴だっていうのに。
入れ替わってから、一番憂鬱な登校だ。
昨日あんなことがあったから、もう朝山くんと顔を合わせることもできないんじゃないか。
声かけて無視されたらどうしよう。
目が合ってそっぽ向かれたらどうしよう。
考えてみれば、自業自得なんだろうな。
でも、昨日デートの尾行をしないでいたら……。
あれが、精一杯の正しい選択肢だったと思い込みたい。
知り合いにはだれも会わずに校門をくぐると、掲示板の前に人だかりができていた。
そうだった、今日は実力テストの発表じゃないの。
わたしに気力が戻ってきた。うん、テストでは綾音らしくがんばったもんね。
朝山輝一。あった！ ４８５点で第３位。
１位はだめだったけど、まずまずの成績よね。
次は覚悟を決めて、下のほうへと目を追っていく。桂木綾音、かつらぎあやね、と……。
２６０点、１３５位。
あーあ。これが朝山くんの実力なのね。
せめてもの救いは、大須賀くんよりは上だったことだ。
「おい朝山、おまえはよかったよなあ」
その大須賀くんからの声。祝いの言葉なのにちっとも嬉しそうじゃないのは、当然か。
「俺ときたらダブルパンチだよ。テストの点数は覚悟してたけど、デート失敗の次の日とあっちゃあな」
大須賀くんは肩を落としながら、教室へと向かう。
「輝一、すごいじゃないの」
振り向いたら、広瀬さんが見えた。
「ほら、あんたがまあまあっていったらすごい上出来じゃないの、これからもがんばりなさいよ」
彼女はわたしの肩を軽くポンとたたいて、人だかりの中に消えていった。
やっぱり、わたしの体の朝山くんは現れなかった。
それでよかったんだ。
▲ ３ 朝山くんにとっては、これが初潮なんだもの ▼
それは、２限目が終わった休み時間、先生に言われて、授業で使った実験用具を化学室に戻しに行った帰りのことだった。
保健室の横を通りかかると、中から気になる会話がもれてきた。
「５度９分か、低めね。基礎体温測ってる？」
「なんですか？ 平熱と違うんですか？」
「あら困ったわね。もう年頃の女性なんだから、測る習慣つけとかないとだめよ」
「あっ、はい」
「ま、多分低温期ね。正常に来てるわよ、安心なさい」
「安心って、気分悪くて立ち上がれないのに？」
「慣れてるでしょ。そろそろ起きたら」
「あの、わたし慣れてないんです」
会話の主は、保健の先生と、わたしの声の朝山くんだった。
どうしたのかしら。低温期とか言ってたけど、もしかして？
「まだちょっと具合悪いから、少し休ませてもらえませんか」
「それくらいで休まれたら、保健室のベッドがいくつあっても足りないわよ。……まさか桂木さん、初潮なの？」
間違いなかった。
今朝から気になってたことの正体が、ようやくわかった。
綾音の体にも来るころなのに、朝山くんに知らせてなかったってこと。
知らせそびれてたら、とうとう来ちゃったんだ。数日遅れだけど。
扉の取っ手に指がかかる。
あっ！ 昨日のことが脳裏に浮かんだ。
ここでわたしが扉を開けて、朝山くんに嫌がられたらどうしよう。
保健の先生の前では、わたしが男子の朝山輝一なんだ。校内中に変な噂が広まって、それこそ朝山くんと二度と口をきいてもらえなくなるかもしれない。
「ショチョウって、初めてっていうことですか」
「自分の体でしょう？ わからないの？」
「……わかりません」
「ふう、高校生で初めてって子もいることはいるけど……桂木さんは、春の健康診断のときはきちんと来てるって言ってたわよね」
放っておいてはいられなかった。
朝山くんにとっては、これが初潮なんだもの。
困ってる彼を、そして綾音を、助けないわけにはいかない！
わたしは力をこめて、ガラリと取っ手を引いた。
「桂木さん！」
「えっ？ あ、朝山くん？」
あのときと同じように、わたしの体がベッドに横になっている。違うのは、脇の椅子に保健の先生が座っていることだけだ。
「なんの用？ 男子には関係ない話よ」
「お、俺、桂木さんの具合が気になるんです」
「あなた２年Ｃ組の朝山くんね。クラス違うでしょう」
保健の先生は、早く出ていきなさいと言わんばかりの顔でわたしをにらみつける。
「だけど、この間桂木さんと廊下でぶつかって、いっしょに保健室にお世話になったから、今度も心配で」
下手な言い訳だって自分でもわかってるけど、何も言わないわけにはいかなかった。
「そのことなら三上先生から聞いたわ。でも今回はぜんぜん違うのよ。桂木さんね、体育の授業中、急にふらりと倒れたって運ばれてきたの。今日は暑いから、最初は熱射病を疑ったけどね」
体育の授業中か。確かに、掛けシーツからのぞいた朝山くんの襟元は体操服だ。
「これだけ説明すればいいでしょ、もうすぐ次の授業よ、早く」
そのとき。
「あの……先生、朝山くんには、話を聞いてもらえますか」
先生の急かし口調をさえぎるように、朝山くんがゆっくりと口を開いた。
「どういうこと？ 桂木さん」
「お願いです、彼にはいっしょにいてほしいんです。朝山くんといっしょだったら、気分がよくなると思うから」
「そう、ねえ……。わかったわ。先生、ちょっと外出してきますから、彼女の面倒よろしくね、朝山くん」
▲ ４ トリさんは１０日ごろ、マキちゃんは月末だったよな ▼
桂木綾音と朝山輝一。
どっちがどっちかはともかく、保健室にふたりだけが残された。
ふたりきりだなんて、もう１週間以上もなかったこと。
何から話そうか。でも、いざこうなると頭がいっぱいになっちゃう。
時計の音だけが、コチコチコチと響いている。
「……すまない、桂木さん」
ベッドの上の綾音の口がゆっくりと動いた。
朝山くんからこう呼ばれるのも、もう何日ぶりだ。
「どうして？ 朝山くん」
「女の子なら平気なことなのに、倒れて心配かけちゃって」
「ううん、初めてなら仕方ないわ。知らせ忘れた、わたしも悪かったのよ」
わたしは言葉を選んで、慎重に一言ずつしぼりだすように話した。
ガラララッ！
「あやねー、気分はいかが？」
不意な女子の声に、ふたりだけの時間は中断された。
もともとの綾音の親友、トリさんとマキちゃんだ。
「あんたの制服持ってきたよ」
「でもどうしたのよぉ、月のお便りなんかで倒れるなんて弱いわねぇ。……げっ、男だ」
ふたりはわたしを見るなりうんざり顔。悲しいけど仕方ない。
「これ、Ｃ組の朝山じゃ？ 大スカとよくいっしょにいる」
「ああ、わたしの綾音をおかしくした二人組の片割れね」
「綾音、こんな男と関わってるからバカがうつったのよ、実力テストでわかったでしょ？」
「ほらほら、わたしたちが綾音の面倒を見るから、他クラスの生徒は授業に戻って」
トリさんとマキちゃんはわたしを押しのけて、ベッドの上の朝山くんに言いたいことをまくしたてる。
「やめて、ふたりとも」
朝山くんがか細い声で言う。
「まだこの男にだまされてるの？ 綾音」
「いやっ、頭がガンガンする！」
朝山くん、掛けシーツを頭からかぶっちゃった。
綾音が嫌がってるのに、黙ってはいられないわ。
「ほら、桂木さんに失礼だろ？」
「失礼なのはあんた。これは女子にだけわかればいいことよ」
何よ、わたしが本当の綾音なんだからね。すっかりカチンときた。こうなったらもう、言ってやるんだから！
「俺だって知ってるぜ、アレくらい。トリさんは１０日ごろ、マキちゃんは月末だったよな」
ふたりとも、図星を突かれたように固まって、次に真っ赤になって切れた。
「こ、この、スケベ！」
「大スカじゃあるまいし、なに観察してるのよ！」
「あははは、大当たりみたいだね」
わたしは笑いながら、トリさんたちをかわした。
「ほらほら、おふたりさんは授業に戻りなさい」
目の前にはいつの間にか、Ｃ組の担任の三上先生が立っていた。
「あっ、三上先生だ！ はいはぁーい、失礼しまーす！」
「“はい”は一回で十分です」
トリさんとマキちゃんは、綾音の制服をベッドの上に置くとあわてたように出て行った。
「朝山くん、桂木さんとはなにか縁があるのかしら？ 廊下でぶつかったとき以来ね」
三上先生が尋ねてきた。
「うーん、縁があるっていったらあるんでしょうね」
「先生も許可するわ。保健の先生が戻るまで桂木さんを見てちょうだい。でもね、彼女にヘンなことはしちゃだめよ」
「はーい」
言い残すと三上先生は立ち去った。また、ふたりきりの時間だ。
「ごめんね朝山くん、わたしの友達が失礼なことしちゃって」
「ううん、俺がバカなのは俺の責任だよ」
「だけどわたしもあのふたりの裏の性格が見えちゃって、がっかりしちゃったな」
トリさんとマキちゃん、本当は悪い子じゃないってわかってるんだけど、あんな態度を見てしまうと、ね。
「俺、疲れた、しばらく寝てる」
「それがいいわね」
白いシーツの上ですやすやと眠る少女を見てると、今朝の夢と同じような力がうごめいてくる。
自然と、わたしと少女の顔どうしが近づいた。
無数の想いが頭の中で渦を巻く。
わたしだ。わたしじゃない。朝山くんだ。綾音だ。ときめく。ときめかない。触れてみたい。触れちゃだめ。モラル。インモラル。怖い。平気。純粋。不純。本能。理性。男の体。女の心。
寝息を唇に感じたところで、けじめをつけた。
▲ ５ 桂木さん、俺を見るときいつも怯えてた ▼
３限目が終わるころ、朝山くんの目が覚めた。それから間もなく保健の先生が戻ってきた。
ひと眠りした朝山くんは気分がよくなったのか、起き上がって歩けるくらいになった。けれども大事をとって、早退することになった。
わたしにも早退の許可が出た。
「紳士ならお家まで付き添ってあげなさいね。勉強もいいけど、ガールフレンドも大切にしないとだめよ」
こんなときでも三上先生はニコニコしてる。
「まっすぐ帰る？」
「今帰ってもだれもいないよ。お昼は外で食べないと」
「お弁当持ってきてるの？ わたしはないけど」
「俺も今日はつくる気にならなくてさ、駅前のファーストフードでも行こ」
「そうね、朝山くんはハンバーガーでも食べて、鉄分を補わなきゃ」
「ありがと、そうする」
「でもね、今日のお日さま、こんなに高いなんてびっくり。夏至は過ぎたけど、これからが夏本番よね」
「うん、日焼け止めは塗り直さないとね。ほら、桂木さんにも貸してあげる」
駅前の電光ニュースが、平年より早めの梅雨明け宣言を伝えていた。
ファーストフード店。昼食どきだけど、平日だからかあまり混んでない。
奥にふたり用の席を見つけて、向かって座る。
はじめはくつろいでしゃべってたわたしたち。
でも、ひととおり食べ終わって、周囲のお客がいなくなってくると、朝山くんの表情がにわかに深刻になった。
「桂木さん、今まで心配かけて、本当にごめん」
「えっ？ 今日の保健室でのことだったら、もう済んだじゃないの？」
「違うんだ。入れ替わってから今まで、ずっとのことだよ。俺、桂木さんと、あまり会話できなかっただろ」
あっ、そうか……。
「昨日までの俺、桂木綾音が完全に定着してるみたいだったよな？ お花に水をやってるときとか、プールのときとか、大須賀に弁当作ってやったときとか、デートのときとか」
「うん……」
朝山くんの顔は、まぎれもなく桂木綾音なんだけど、わたしを見つめる目は、男の子のように鋭く思えた。
「きっと桂木さん、俺が心まで綾音になってしまったって心配してたんだろうな。だから、謝りたいんだ。ごめん」
「そんな、心配だなんて……朝山くんがわたしの代わりをしてくれたんだから、わたし、感謝しなきゃいけないよ」
「ううん、わかってた。桂木さん、俺を見るときいつも怯えてたのが」
そ、そうだったの？ 自分じゃ全然気づかなかったけど。
「桂木さん、俺が綾音になるのがよっぽど怖かったんだろうな。でも今日はぜんぜんいい顔してる。俺が久しぶりに男言葉でしゃべってるからかな」
言われてみてわたしは、自分が不思議とリラックスしていることに気づいた。
「そうかもね。……どうして、男言葉使う気になったの？」
「順を追って話そうか」
店内はすっかり閑散としていた。これなら、安心して話が聞ける。
▲ ６ あれで俺は輝一の心を少し取り戻したかな ▼
「入れ替わってこの体になってから、俺にはみさきみたいなアドバイザーがいなかったろ。心細くてさ。もう、俺って世界一不幸な男じゃないかって。最初の晩なんて、帰るなりベッドに飛び込んで朝まで泣いてたぜ」
そうね。入れ替わった次の日の朝、顔に涙の跡があったものね。
「でもな、いつまでも泣いてはいられないよな。ポジティブに受け止めなきゃ。そう思うと、新しい体や新しい生活環境ってのは好奇心をくすぐるんだよな。桂木さんだってわかるだろ？」
「うん」
「そりゃあ戸惑ったことも多いさ。髪型とか身だしなみとか、ちょっと食ったらすぐに腹いっぱいになっちまうこととか。あと音楽部と実力テストはさすがに無理だったな」
「うん、残念だけど、ピアノの腕まで入れ替わるわけじゃないものね」
「だけど、周りの視線が違うんだよな、桂木綾音だと」
「あっ、やっぱり。わたしもうすうすそう思ってた」
朝山くんの体になって思い知らされた。桂木綾音っていうのは注目される存在なのよね。男子からだけじゃなく、同性の女子からも。それに、登下校の街中やバスの中でさえも。
「視線を浴びてると、がんばらなきゃなって励みになるよな。俺、桂木綾音になりきろうと一生懸命だったんだ。桂木さんの部屋のお花やファッションや音楽の本を読んでみたし、お弁当づくりにも挑戦したし、クローゼットの洋服かたっぱしから着てみたし」
「へえ、そんなこともしてたんだ」
「言葉遣いやしぐさも、とにかく女らしく、俺が見ていたような桂木さんらしくって、意識して演技してた。それと周りの注目がフィードバックしていって、演技だったのが本当の自分になっていったんだよな」
そうして、朝山くんならではの綾音ができていったわけか。
「俺、だんだんと綾音らしくなる自分に酔ってたのかもしれない」
「わたしもわかる。環境が人をつくるって、こういうことをいうんじゃないかしら」
「それでだ、調子に乗った俺はいたずら心で、大須賀のこと喜ばせてやろうって思ったんだ。あいつ、もともと桂木さんのこと憧れてたからな。プールでちょっと気を持たせてやったら大はしゃぎだったろ」
「そうだったわね」
「でもな、俺のほうがそれで終わらなくなった」
「本当に好きになってた、ってことかしら？」
「ああ。無邪気に喜ぶあいつの顔を見てたら、胸がとてもあったかくなってきて、いてもたってもいられなくなって……。俺が輝一であいつの親友だったころは、経験したこともない感覚さ。それが、１時間か２時間くらいごとに、盛り上がったり醒めたりの繰り返し。変なクスリやってるわけでもないのに」
「朝山くんも、悩んでたんだ」
「それで俺、どうしたらいいのか桂木さんと相談したくて、校門の前で待ってたら、のぞみといっしょだったんで動転して……」
広瀬さんといっしょに下校した、あのときだ！
「あれでふっきれたのかな。俺には大須賀しか見えなくなっていた。もうハイになりっぱなしで、すっかり恋する乙女さ。お弁当つくってやったり、テニス部をいっしょに見学したり、そして昨日のデートだよ」
「でも、だったらどうしてあんなことに……」
「やっぱりあいつには、女に嫌われるわけがあるんだってわかったよ。スケベ心が丸出しだったり、相手の立場を考えた会話ができなかったり。俺、とうとうハイが終わっちまったんだよな」
ここで、朝山くんは大きく息をついた。
「でも決定打は、桂木さんとみさきだよ。あのときは怒って帰っちまったけど、あれで俺は輝一の心を少し取り戻したかな、って感じたんだ」
「そうだったのね」
ほっとした。大きな心のかさぶたが、はらりとはがれ落ちたように思えた。
「だから、デートをぶちこわしたと、桂木さんが俺に後ろめたがることはないよ。心配してついてきてくれたんだろ、ありがたいよ。みさきにもそう伝えといてな」
「わかったわ」
「輝一の心が戻ってくると、女の子に、桂木綾音に、なじんでる自分が怖くなってきたんだ。もうちょっと、輝一っぽく振舞ってもいいんじゃないかって思ったりもした。でも、でも……」
朝山くんの顔色がちょっぴり赤くなる。それだけじゃない、目まで赤くうるんできた。
「今日、わかったんだ。女の体っていうのが、こういうものだってことが」
「うん……」
「急におなかが重くなって、キリキリと痛み出して、目の前が揺れて、暗くなって……。すごく怖かった。心はどうあれ、俺は女として生きなきゃいけないって宿命、思い知らされたみたいで」
「でもね、大丈夫、すぐ慣れるよ。わたしだってそうだったんだから」
「そんなこと言っても、桂木さんはアレがなくなってうれしいんだろ？」
「あっ、それは……でも、朝に固くなったり、ときどきブリーフが汚れるのが面倒かな」
「あれはな、タンスに隠した本でも見てれば、処理できるよ」
「タンスの中って、上から３段目のＴシャツのところ？」
「へえ、桂木さん、よく知ってるな」
わたしも顔を赤らめた。
「でもそこのはカムフラージュ用の弱い本。もっと激しいのは、いちばん下の段と床との間だよ」
「そ、そうだったのね。ふうん、覚えておこ」
「あははは」
朝山くんが、ようやく顔をほころばせた。
「大須賀くんとはどうするつもりなの？」
「明日、朝一番にごめんなさいって言うつもり」
「やっぱり、か」
「それが俺の正直な気持ちだもの。あいつには本当に気の毒なことをしたと思うけど」
「わたし、やっぱりデート邪魔して悪かったのかなあ」
「桂木さんは、デートがうまくいってほしかった？ それともほしくなかった？ どう答えても怒らないから」
「……どっちでも、それなりによかった。目の前にいる綾音と、その中にいる朝山くんが幸せだったら、ね」
「幸せだったら、か……」
淋しいのかうれしいのか、朝山くんは斜め横を向いて息を吐く。
「わかった。ありがとう桂木さん」
▲ ７ ママとパパ、元気かしら？ ▼
それから、わたしは朝山くんを綾音の家まで送り届けることにした。
駅前の停留所からバスに乗るのも、半月ぶり。
出発直前の始発だというのに、客は数人しか乗ってない。まだ昼下がりだからかな。
「後ろの２人席行こう」
「大丈夫？ 酔ったりしない？」
「桂木さんと話してれば大丈夫さ」
わたしが窓側、朝山くんが通路側。
発車すると、なつかしい車窓の景色がゆっくりと通り過ぎていく。
「久しぶりだな。綾音の家に行くなんて。……そうだ、ママとパパ、元気かしら？」
わたしは不意に思い出してしまった。
両親のことは、できるだけ考えたくなかったけれど。
わたしのママとパパ、めったに顔を合わせない。寝室も食堂も別々だし、共稼ぎでふたりとも帰りが遅いし、パパはどうやら外に愛人つくってるらしい。数日に１回顔を合わせたかと思うと、口げんか。
そんな殺伐とした環境に比べると、朝山くんのご両親は理想の夫婦としか思えなかった。
「桂木さんのママとパパか。うーん、最初はびっくりしたよ。ママにパパのこと尋ねると、あんな人知りませんって調子なんだもの。だから俺、部屋に閉じこもりっきりだったよ」
「たいへんだったでしょう」
「ま、おかげで、綾音になろうって研究ができたんだけどな」
「食堂がふたつあるでしょう？ うちの両親、食事もいっしょになんかしないのよ」
「お弁当つくる練習場になってよかったぞ」
意外だ。朝山くんは、わたしの両親のことあまり気にしてないみたい。
「朝山くんは、こういう夫婦、どう思う？ 正直言って……」
「最近、結構一緒にいるみたいだよ」
「ええっ、そうなの？」
車内だというのに、思わず大声を出してしまった。乗客はほとんどいないんだけど。
「何があったの？」
「俺たちが入れ替わってから、娘の様子が変わってしまったっていうんで、ふたりとも心配してるんだ。帰るのも早くなったし、居間でふたりでよく話し合ってるんだよ」
「へえーっ、びっくり」
「俺も、一生懸命綾音を演じてるんだけど、さすが親には微妙な違いがわかるみたいなんだよな」
「先週の木曜日かな、親子３人いっしょに外で夕食だったよ。ママもパパも俺のこと、ていうか綾音のこと気にかけてくれてさ、すごくやさしかった」
「うわあ、そんなこと、もう１０年もなかったよ」
「その後、パパが熱帯魚１匹買ってくれたぞ。……あっ、その前に２匹死なしちまってたんだよな、俺。つい世話忘れてさ、ごめん」
「お魚は仕方ないよ、デリケートだもの」
「ところでさ、俺の両親のほうは、どうしてるかなあ。みさきから少しは話聞いてるけど」
「ふたりとも忙しいよ。家具の整理とか荷造りとかで」
「えっ、どうして荷造りなんて？」
しまった！ ついつい本当のこと言っちゃった。
「家具、そう、家具が傷んできたから買い換えようって言ってるの。古い家具、リサイクルショップに送るんで荷造りしてるのよ」
「なるほど。元に戻ったら、俺も見られるね」
なんとかうまく言い逃れた。
▲ ８ お互い大変だよな、心と体が違うのは
バスを降りて数分歩くと、なつかしい綾音の家の屋根が見えてきた。
「今日は本当にいろいろありがとう。おかげで少しはすっきりしたよ」
「わたしこそ。明日は学校来れる？」
「明日次第かな。実を言うと、まだときどき気が遠くなりそうなんだ。アレってつらいよ。はあっ」
朝山くんはゆっくりと左手を伸ばして、わたしの右手に絡ませてきた。
「俺……この体に、戻れるのかなあ……」
ええっ？ わたしまで、ヘンな気持ちになりそう！
「ご、ごめん！」
あわてて手を振りほどく。
「俺こそ、ごめん」
門をくぐって玄関に立つ。両親の帰りが早いといっても、まだ留守のようだ。
朝山くんが、わたしの熱帯魚キーホルダーつきの鍵で、手馴れたように扉を開ける。
「桂木さんも、少し休んでいけば？」
「ごめんね、今は入りたくないの」
「どうして？ 自分の家だろ？ ママもパパもあと２、３時間は帰らないよ」
「さ、里心がつきそうだから。入っちゃうと」
本当は、別の理由があった。でも、“女の子”相手にはとてもいえないよ。
「ねえ、部屋でくつろごうよ。話したいこと、まだまだあるし」
綾音の低い視線から、わたしの目を見上げる朝山くん。
今朝の夢の、みさきちゃんと同じに見えた。
ああ……心臓が高鳴る。下半身に力が。
通学カバンで前を押さえないと、朝山くんの腰に当たっちゃう。
男の子って、こんな痛みを我慢してるの？ それも毎日何度も。これも、元気の証っていうの？
「……わかった。今日は帰りなよ」
朝山くん、やっと引いてくれた。
「うん、またの機会にね」
「明日、逢えればいいね」
「ああ、なんとかがんばるよ」
「……それじゃあ」
我が家ともうひとりのわたしに背を向けて、門を踏み出たときだった。
「お互い大変だよな、心と体が違うのは」
朝山くんがそう言うの、はっきり聞こえた。
その夜、久しぶりにみさきちゃんのチェックノートを見せてもらった。
ひとりだけ右下で止まっていた綾音の顔が、ほかの子たちを追い越して左上に上がっていた。
（第１４回「１９日目 火曜日〜２３日目 土曜日」に続く）
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