※本作品はゲーム『トゥルー・ラブストーリー』のキャラクターと設定を使用しております。
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トランス・ラブ
ストーリー
〜第７回「５日目 火曜日〜８日目 金曜日」〜
作：こうけい
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１ 見えたからどうだっていうんだい？ ▼
火曜日。
Ｃ組の教室に入って席につこうとしたら、後ろの広瀬さんと目が合った。
「お、おはよう、のぞみ」
「……」
広瀬さんは答えずに、わたしをじいっと見ている。
不機嫌なだけかな。それとも、わたしの態度が気に入らないのかしら。
彼女に見られてるように思えて、授業中も集中できなかった。
１時間目で、もう気疲れしちゃうなんて。
短い休み時間だけど、少しでも落ち着きたい。そう思って、校舎裏に近い花壇に行ってみる。
けれども、花をながめている暇なんてなかった。
塀のほうから、気にかかる物音がしたから。
近づいてみると、カバンが地面に落ちている。目線を上げると、女子が塀にぶらさがってるじゃないの！ 背中を向けてるけど、太くて大きな三つ編みで、だれだかすぐにわかる。
「あれ、天野さん？」
「うわっ！」
わたしに声をかけられて焦ったのか、天野さんの手が塀から離れて、体がドサッと腰から地面に落ちた。
「いたたたたあ……」
下半身をさすりながら立ち上がる天野さん。
でも天野さん、顔は言葉ほど痛そうじゃなかった。
コンクリートじゃなくて土の地面だからかな。
「朝山くん、見てたの？」
天野さんは制服についた土を手で払いながら、落ちてたカバンを拾う。
「まさか、この塀を乗り越えてきたの？」
せいぜい２メートルくらいの高さだから、乗り越えられなくはないけれど……制服のスカートでまたぐなんて！
「もう１週間連続で遅刻しちゃっててさ、先生に校門で説教されるのもいやだから……お願い、このことは先生には黙ってて！」
鬼気迫った表情で、天野さんがすり寄ってきた。断るいわれはないし……。
「う、うん、いいけど……」
「サンキュ、恩にきるよ、朝山くん！」
その言葉がドップラー効果を起こしそうなくらいすばやく、天野さんは昇降口へと駆けていった。
「おい、天野さんがそんなことを！？」
昼休み、廊下での会話。大須賀くんは目の色を変えてきた。
「おまえ、彼女が塀をまたぐとこも見たんだろ？」
「それは見てないんだよね。俺が気づいたときには、もう塀のこっちがわに来てたから」
「もったいねえ。もっと早くから見てればな、角度次第でパンティが見えたんだぜ」
大須賀くんの鼻息が荒い。
「見えたからどうだっていうんだい？ あんなのただの下着だよ。へんな想像はしないほうがいいぞ」
「おいおい、負け惜しみか？ そういやおまえ先週も、広瀬のパンチラ見損ねたって残念がってたよな」
そ、そうなの？ 朝山くんもやっぱり男の子なのか。
「……まあな、負け惜しみって思われてもいいさ」
わたしはゆっくりと、大須賀くんの前から立ち去った。
確かに、スカートで塀越えだなんて行儀悪い。むやみにショーツを見せちゃいけないって思う。
でも男子って、どうしてそんなにショーツが見えるのを喜ぶのかしら。
女子だったときのわたしは、男のブリーフやトランクスとか見たくなかったし、今もまだ抵抗あるんだけど……。
▲ ２ どうしてわたしはどきっとしたんだろう ▼
そんなこんなで、火曜、水曜はなんとなく過ぎていった。
わたしの体の朝山くんや、広瀬さんとは相変わらずの膠着状態。
後藤さんや本多さんとはときどき話してるけれど。
木曜日の昼休み。雨は降ってないけれど、低い雲がたちこめている。前線が近づいているみたいね。
朝山くんが噴水広場に出て行くのを遠目で見ながら、わたしも外に出る。
“桂木さん”目当ての男子も、バラバラと数人出ていった。
噴水広場。うちの学校の校庭の一角にあって、生徒たちの憩いのスポットになっている。鳥と戯れる女性の像がとても優しい感じなのよね。
わたしが綾音だったときから、よく行ってたところなんだけど、わたしの体の朝山くんが足を向けるなんて初めてかもしれない。
噴水の女性像のすぐ近くにたたずむ、わたしの体の朝山くん。数メートル離れて、数人の男子が遠巻きにながめてる。男子たちを線で結べば、まるで朝山くんと噴水を中心にした魔法陣か結界みたい。
その結界が崩れるのは、５時間目のチャイムが鳴るとき。
こういうときの男子たちって、抜け駆けで“桂木さん”に話しかけたりしないよう、お互い、視線で牽制し合ってるのよね。
遠巻きにされる立場から観察してたから、よくわかる。
遠慮なんてしないで、だれか話しかけてきてよ。男子ってシャイなのね。
あのころはそう思ってたけれど、逆の立場になってみて、男子の気持ちが実感できた。
今のわたしは、朝山くんには話しかけづらい立場。けれども、もしかしたらってこともあるから、できれば近くにいたい。
わたしとふたりっきりだったら、朝山くんは立ち去ってしまうだろう。だけどほかの男子たちといっしょの今なら、わたしはずっとわたしの体をながめていることができるんだ。
ここでわたしが抜け駆けすれば、やっぱり朝山くんは行ってしまって、わたしはほかの男子から白い目で見られるだろう。
場の雰囲気をこわさないように、みんなの微妙なバランスが保たれるさまは、やっぱり魔法陣か結界といえるのかもしれない。
結界の中で、朝山くんはどんなことを考えているんだろう。もうお腹が空いたとか、他愛のないことかもしれないけれど……。
びゅっ！ 突風が、噴水広場を駆け抜けた。
わたしはとっさに、自分のひざのあたりを手でおさえる。
……あっ、スカートじゃ、なかったんだ。
びゅうぅぅぅっ！！
今度はもっと強い風だ。
うわっ！ 朝山くんのスカートが、ふわりと舞い上がる。
どきっ。黒くて、フリルとレースがいっぱい……。
次の瞬間、わたしは正気をとりもどした。
朝山くんは、まだ何が起こったのかわからないみたい。
風のときは手でおさえるということを知らないのかしら！？ スカートをはいてるときの当然のたしなみじゃないの！
わたしは結界を破って、ズンズンと朝山くんに近寄った。
「あのね桂木さん、恥ずかしくないの！？」
とたんに、わたしの体の朝山くんの顔から激しく火が吹き出す。
「あ、あ……知らないっ！！」
逃げ出すように校舎へと走り去った朝山くん。でも、わたしにはこうするしかなかった。
「あーあ、桂木さんを怒らせちまったか」
男子のぼやき声が聞こえる。
「おい朝山、よけいなことをするな！」
いつの間にか大須賀くんがわたしの横に立っていた。
「せっかくのビッグチャンスだぞ！ おまけに今日の桂木さんはちょっとニブいみたいじゃないか。彼女の反応をじっくり観察するのが、男ってものだろう！？」
ほかの男子たちも、一様に「もったいない」という目をしてる。そして、わたしに冷ややかな視線を向けてきた。
大須賀くんはさらにエキサイトする。
「朝山は男としてうれしくないのか！？」
「うれしくないに決まってるでしょ！」
「だったら、なに色だった？」
「黒。フリルとレースがすごかった」
あっ、反射的に答えちゃった。
「ほらな、しっかり観察してるくせに。このムッツリスケベが！」
ムッツリスケベ！？ 中身は女の子な、このわたしが！？
「し、失礼ね！！」
わたしはそう言い残して、大須賀くんたちに背を向けた。
ああ言ってはみたけれど、スカートが舞い上がったとき、どうしてわたしはどきっとしたんだろう。どうしてすぐに朝山くんのスカートを押さえようとしなかったんだろう。どうしてスカートの中身を凝視していたんだろう。
あの“どきっ”は、恥ずかしいっていう感情じゃない。
少なくとも、女の子だったときには体験したことはなかったと思う。
火曜日には否定してた、あの感情だ。
それに、あんな派手な黒い下着、わたしは持ってなかった。朝山くんが自分で買ったんだ！
ついこの間の日曜には下着店を恥ずかしがってた朝山くんが、ああいうのを買うまでになるなんて！
朝山くんならではの、新しい“桂木綾音”が、できあがりつつあるのかもしれない。
だったら、わたしならではの“朝山輝一”も！？
わたしは、「朝山輝一」の靴箱へと自然に伸びた自分の手に気づいて、背筋が寒くなってきた。
▲ ３ 達成感というのかしら、征服感というのかしら
そして金曜日。
帰宅の途中で雨が降ってきた。だけどあいにく、わたしは傘を持ってない。
……梅雨時だってのに、どうして忘れちゃうのかしら。
これというのも空梅雨が悪いのよ！ 昨日だって結局雨は降らなかったし。
でも、みさきちゃんといっしょに登校してたら、注意してくれるから忘れなくてすんだのよね。
そっか、わたしが寝坊したのが悪いのか。……こんなところまで、朝山くんに近づいてるなんて！
とにかく、どこかで雨宿りをしなくちゃ！ 幸い、空いているガレージが目に飛び込んでくる。
ガレージに駆け込んで、ほっと胸をなでおろす。
濡れたカバンをハンカチでふいているうちに、外はみるみる土砂降りになってきた。
激しい雨脚の向こうに、頭にカバンをかざしたうちの学校の女子が見えた。彼女もこのガレージに気づいたのか、息を切らして必死で走ってくる。
……ひ、広瀬さんじゃないの！？
「はあ、はあ、はあ……輝一ぅ！？」
ガレージに飛び込んでしばらく、下を向いて呼吸を整えてた広瀬さんだけど、顔を上げたときにわたしの姿に気づいた。
とたんに彼女の表情が険しくなる。
「なんでよ、よりによって、輝一といっしょだなんて」
「のぞみ、そりゃないよ！ また雨の中に出ていくつもりか？」
「……しかたないわね」
さすがの広瀬さんも、ここで何をガマンしないといけないのかはわかっているみたい。
これが呉越同舟というものかしら。
「のぞみ、どうして傘忘れたんだ？」
「今朝、弟がぐずってて、出がけにバタバタしてたから忘れたのよ、悪い！？」
広瀬さんにはふたりの弟がいる。両親が共働きで朝も早く出かけてしまうから、朝の弟の世話も彼女の仕事だそうだ。――と、みさきちゃんから聞いている。
「そういう輝一こそ、しょっちゅう傘忘れてるでしょう！」
なにもそうわたしに矛先を向けなくたって……。広瀬さんと話してると、すごく緊張する。
不意に、広瀬さんがブラウスの袖をつまんで見せた。
「あーあ、こんなに濡れちゃった」
雨で濡れたブラウスから、下の腕が透けて見える。
なぜかわたしは、それを見てるうちに、ヘンな気分になってきた。
わたしの男子用ワイシャツだって濡れて透けてるけど、そっちではなんとも思わないのに。
「……なによ、ヘンな目つきで見ないでよ。輝一って、油断するとすぐこれだから」
えっ？ ヘンな目つき？ わたしは言葉を失った。
もともとの朝山くんのような、男の子の、……いやらしい目ってことなの！？ わたしが、もともと女のわたしが、そんな感情を身につけはじめているなんて……！
そのとき、ガレージの外が一瞬明るく光った。カミナリだ！
きゃっ！
わたしがそう言おうとするよりも早く、広瀬さんのほうからわたしの胸に飛び込んできた。
ドドォーーーン！！！
大きな雷鳴がガレージを揺るがすと、広瀬さんは必死にわたしにしがみつく。
……わたしはいつの間にか、彼女の背中に両腕をまわしていた。
奇妙な気分だった。
すごく気まずいように思えるけれど、体の奥底から湧き上がってくる、すかっとしたさわやかな感覚。
達成感というのかしら、征服感というのかしら。
わたしたち、本当は女の子どうしなのに、どうしてこんな感情を抱くわけ？
まさか、これも……。
「て、輝一？」
「わっ、ゴ、ゴメン」
広瀬さんに声が戻った。わたしは反射的に腕を放す。
それっきり、沈黙のひととき。
やがて、雨脚は急に弱くなって、あっという間に陽射しが漏れてきた。
「さあ、走って帰りましょ」
「お、俺もいっしょに行っていいかな？」
「当たり前でしょ、ご近所なんだから！」
ぽつりぽつりと雨は残ってたけれど、わたしたちは駆け足で家へと向かった。
これでも、広瀬さんといっしょに下校したっていえるのかな？
わたしははじめて、広瀬さんと打ち解けられたのかもしれない。
だけどその代償として、わたしの心が確実に変わりつつあるってことがわかると、末恐ろしくなってくる。
その夜、みさきちゃんに見せてもらった表では、広瀬さんの顔は上がっていた。
朝山くんは相変わらずの低位置だったけど。
（第８回「９日目 土曜日」に続く）
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