※本作品はゲーム『トゥルー・ラブストーリー』のキャラクターと設定を使用しております。
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トランス・ラブ
ストーリー
〜第５回「３日目 日曜日」〜
作：こうけい
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１ ちょっとスースーする気分 ▼
ふあぁぁぁ……。
目をあけたとたん、まぶしい陽射しがとびこんできた。
時計を見ると、いつもより３０分おそい。
でも平気。だって、今日は日曜日なんだもの。
わたしが男の子の朝山輝一の体になって、はじめての休日。
今日は制服を着なくていいんだ。
まる一日着る私服は、いつもよりも慎重に選びたくなる。
さあ、何を着ようかな。
朝山くんって、休日にはどんな服を着てるんだろう。
考えてみれば、彼の制服姿しか見たことがなかったのよね。
タンスの引き出しを開けると、黒、白、赤……、無造作につめこまれた、いろんな色のＴシャツが。
ひとつひとつ広げてみる。男の子のＴシャツって形はシンプルだけど、変わった文字とか絵とかが書いてあるのがおもしろいのよね。
でも、うーん……どれも外に着ていく気にはなれないな。
ほんとうの朝山くんだったら、これで平気なのかもしれないけれど。
別の引き出しを開けてみると、きちんとたたまれたオレンジ色のポロシャツが１枚。胸にはシンプルなワンポイント。これがいいかも、うん。
寝汗がしみた、パジャマ代わりのＴシャツを脱ぎすてて、ブラジャーをつけて……。
あっ、そうか、ブラはつけなくていいんだった。
朝起きたらブラをつけるのが条件反射になってるから、なんだか落ち着かない気分だ。
わたしがこうなんだから、朝山くんのほうは、まだまだブラに戸惑ってるんだろうな。
ポロシャツを着たら、次は下だ。
今日も暑くなりそうだから、涼しそうな服がいいな。
引き出しには、カーキ色のハーフパンツが入っていた。これにしよう。
ブリーフも出して、はきかえる。
女の子だったときと同じで、下着は毎日替えないと気がすまないのよね。
……でもまだ、目をつぶってないとだめなんだけど。
お風呂だって、腰にタオルを巻いてないと入れないし。
目をつぶったまま、ハーフパンツに足を通して、社会の窓を上げる。
チノパンや制服のスラックスとちがって、ちょっとスースーする気分。下から風が入るからかしら。
少しだけスカートに近い感覚が、なんだか懐かしかった。
▲ ２ ずっとつけてたのさ。木曜日に入れ替わってから ▼
日曜もテニス部の部活で学校に向かうみさきちゃんを見送ってから、わたしはのんびりと朝山くんの家を出た。
とりあえず、買い物客でにぎわう駅前通りに出る。
駅前まで歩いてこられるなんて、朝山くんっていいところに住んでるのかも。綾音のわたしの家からはバスでないと出られないもの。
なにかめぼしいものでも買おうかな。
そう思って、冷房のきいたショッピングセンターの自動ドアをくぐる。
エスカレーターで２階に上がったとき、呼びかける声がした。
「桂木さーん！」
「あっ、朝山くん！」
エスカレーターを降りて数メートル先に、わたしの姿の朝山くんが見えた。
「ご、ごめん。このスタイル、気になる？」
「あっ、わたし別にそんなつもりじゃ……」
人ごみを避けて、階段の踊り場で落ち着くふたり。
でもわたしはつい、朝山くんの服装をまじまじと見つめていた。
スカイブルーのブラウスに、春もののピンクのロングスカート。はいているのはベージュのサンダル。
ほんとうのわたしだったら着ない色の組み合わせが、気になったの。
「これでも桂木さんのイメージをくずさないよう、俺なりに一生懸命選んだんだけど……不満だった？」
「そ、そんなことないわ。心配しないで」
朝山くんだって、制服姿以外のわたしを見たことがなかったんだから、仕方ないわよね。
「ほんとはまだ、制服以外のスカートって慣れないんだけど、まずはロングからはじめてみようと思ってさ」
「それで、タンスの奥からそれを引っ張ってきたの？」
「桂木さんだって、まだスカートが恋しいんだろ？ わざわざハーフパンツはいてるってことはさ」
「えっ？」
朝山くんも、けっこう鋭いところあるじゃないの。思わず、パンツのすそに手をやってしまう。
「それ、去年買ったんだけど、いまいち気に入らなくて、別の引き出しに入れてたんだよな。そのポロシャツも。俺ってＴシャツのほうが性に合うんだよな」
「……わ、悪かった？」
「いいよ、お互いさまだから、はははは」
「うふふふふ」
わたしたちは、お互いの服装を見つめながら笑いあった。
「で、朝山くん、わたしになにか用があったわけ？」
「うん。……買い物につきあってほしいんだ」
「どうして？ 買い物なんてひとりでもできるでしょう？」
「……新しいブラジャー買いたいんだ、つきあってよ」
「えっ！？ ちょっと待ってよ！」
今は朝山くんが女の子でしょ？ 男をつきあわせて自分の下着を買う女なんているかしら！？
２階にはランジェリーショップがあるけれど。
「実は俺、今朝ブラジャーをつけかえようとしたら、なかなかホックがはまらなくて、いろいろやってるうちに、ベリッと破れちゃったんだ」
「じゃあ、昨日まではどうしてたの？」
「ずっとつけてたのさ。木曜日に入れ替わってから」
「ええっ！？」
あれって、寝るときは外すのがふつうなんだけど。そうじゃないと胸がきゅうくつでしょう？ それに、お風呂のときはどうしてたのよ？
「外したら胸が垂れてちぎれるんじゃないかって思うと、気になってしょうがないんだよ。
乳首を見るのがちょっと怖いってのもあるけどな。
お風呂のときもつけてて、自然乾燥させてたんだけど、さすがに今朝になるとかゆくなってきたんで、取り替えようとしたんだ」
朝山くんは、赤面しながらつぶやいた。
「…………」
わたしは閉口した。けれど、それは失礼だと思いなおした。
女になって、まだ３日しかたってない朝山くんなら、どんな考えをしたって不思議じゃないわよね。それに彼――今は彼女かしら？――って、こう見えても純情なのかもしれない。
「男の子って、そういうことあるかもね……」
「あわてて別なブラジャーをつけようとしたんだけど、それもうまくはまらなくて、４５分かけてやっとはまったよ。
女の子ってすごいよな。背中に目があるわけでもないのに、あんなものをきちんと毎日はめられるなんてさ。
それでさ俺、便利なフロントホックってものがあるって思い出したんだ。
桂木さんは持ってないのかなってタンスを探したんだけど、見当たらないのさ」
「わたし持ってないのよ、フロントホックブラ」
外れたとき、前が全開になっちゃうのが厄介なのよね。
「やっぱり持ってないのか。ってことで、買いに来たってわけなんだけどさ、俺、今は女だってわかっていても、怖いんだよな。ああいうところに足を踏み入れるのが」
それはわかるな。わたしだって、男になったからっていっても、やっぱり男ばかりの場所に行くときは緊張するもの。
「知ってる人が来ないか、エスカレーターの前で３０分待ってたんだけど、桂木さんが来てくれて本当にうれしかったよ」
「３０分も……わかったわ。朝山くんがきちんとブラを替えてくれるんだったら、買い物つきあってあげるわ」
「ありがとう、桂木さん」
わたしは朝山くんに協力することにした。わたしだって、いつ困ったことになるかわからないんだから。
「ところで下のほう、ほら、ショーツは毎日替えてる？」
「ショーツ？ あっ、パンティのことか。そっちなら、目つぶって替えてるよ」
「やっぱり、わたしと同じね」
ふたりはまた同時に笑い声をあげた。
▲ ３ 女の子でしょ、もっとしゃんと歩いてよ ▼
棚にも壁にも色とりどりの下着が並べられた、ランジェリーショップ。
「いらっしゃいませ」
「ご試着もいかがですか」
店員たちから声をかけられるたびに、朝山くんの肩が、びくんびくんと動く。
「ほら、女の子でしょ、もっとしゃんと歩いてよ」
「俺……わたしに視線が向いてるって思うと、落ち着かないの」
「大丈夫、ここは朝山くんがいて当然な場所なんだから」
「でも、あのショーツもあのスリップも、ものすごい色と飾りで……」
「なんなら着てみる？ わたしが買ってあげる？」
「う、ううん！」
「ま、買うとしても朝山くんのお小遣いからだけど」
確かに、派手な下着は慣れない子には目の毒かもね。
おどおどと歩く女の子と、その子を励ますようにしゃんと歩く男の子。
妙な光景ね。
暗い夜道ならよくある絵かもしれないけれど、ここは女性のためのランジェリーショップなんだから。
本当は、男の子のわたしのほうこそ、店員やほかの客から白い目で見られているのだろう。
だけど、下着屋という場所にも、もちろんこの店にも慣れているわたしは、そんな視線なんてはねかえして、堂々と歩いていた。
やっとの思いで、わたしたちは店のいちばん奥のレジにたどりついた。
入り口からの距離が、とても遠く感じる。朝山くんにとっては、もっと遠く感じただろうな。
「いらっしゃいませ」
レジに立っていた店員が、わたしたちに声をかけてきた。
「ほら、朝山くんが言うのよ」
わたしは朝山くんの両肩に手をよせて、背後からささやいた。
「ふ、ふろっ、フロントホックのブラジャーは、ありますか！」
「フロントホックですね。ございますよ」
あっさりと答える店員。
とたんに朝山くんの肩の力がすうっと抜けていくのが、わたしの手にも実感できた。
「サイズはいかがいたしましょうか」
「サ、サイズ？」
店員に言われて、朝山くんの肩がまたびくんと動いた。
そうだった、わたしのサイズ、朝山くんは知らなかったんだ。
「せっかくですから、測っていただけますでしょうか」
わたしはそう頼んだ。
「ちょっと桂木さん、測るってことは、ブラジャー外すの？」
「当たり前でしょ。朝山くんも、乳首くらいは慣れておいてね」
「うはっ、わたし、心の準備が！」
「それではお客様、こちらのお部屋にどうぞ」
「うははあ、ちょっと待て、待ってよ」
巻尺を持った店員は朝山くんをつれて、いっしょに試着室に入っていった。
「店員さん、よろしくおねがいしますね。じゃ、わた……俺は外で待ってるからな」
言いながら、わたしのほうからカーテンを閉める。
「そんな、かつら、朝山くんっ！」
「きゃっ、ひゃっ、うひゃあっ！！」
「バスト８１センチ、Ｂカップね。アンダーバストのほうは……」
カーテンの中から時折あがる、悲鳴とも笑い声ともつかぬ声。
それをまったく気にせず、店員は冷静にてきぱきと朝山くんのサイズを測っている。
……半年前とぜんぜん変わってないのが、ちょっとショックだった。
▲ ４ わたしがわたしを見て、どうしてこんな感情を ▼
フロントホックブラと、ちょっと派手めのショーツを買って、わたしたちはランジェリーショップをあとにした。
でもなんだか、朝山くんの顔色がヘンだ。
まわりの視線が怖いとか、そういう顔色じゃないわ。
「ねえ、どうしたの？」
「……もれる。お手洗い！」
だけど、女性トイレの前には長い列。階段で３階に上がる。でもそこも同じだ。
「もう限界！ 最後の手段だ。桂木さん、つきあって！！」
えっ？ いきなり手をつかまれた！
朝山くんはわたしを引っ張って、となりの男性トイレに駆け込む。
わき目も振らずに、ふたりいっしょに大の個室に飛び込んだ。
「はああ……間一髪セーフだったよ。
女って尿道が短いから、男より我慢がきかないんだよね」
和式便器で小用をたす朝山くん。
わたしはといえば、朝山くんに背を向けて、扉に顔を押しつけてる。
どうしてだろう。自分の体だったはずなのに、見るのがなんだか怖い。
でも、出るときの音を聞くと、なぜか心が安らいだ。
「終わった、もういいよ」
「それじゃ出ようか……あっ、わたしも」
わたしまで、もよおしてきちゃった。
「ははは、こういうのを連れションっていうんだよな。
やれよ。やっぱりしゃがむんだろ？」
「うん……」
とてもじゃないけど、あそこを持って立ってするなんて、夢のまた夢。
「はずかしいから、見ないでよ」
「ああ、おあいこさ。言われなくても後ろ向いてるぜ。
俺、この体になってから、野郎の小便なんて見たくなくなったぞ」
パンツとブリーフを下ろしながらしゃがんで、トイレットペーパーを長くちぎって、それ越しにあそこを持って、便器にねらいをつける。
わたしが男になってからは、学校のトイレでもこうやってるんだ。
同じようにしゃがんでやっても、やっぱり音は違うのよね。
壁に消音機なんてないから、まともに聞こえてきちゃうのが、恥ずかしい。
コンコン。
わたしが前をふいているとき、ノックの音がした。
コンコン。
朝山くんがノックで返す。
ドンドンドン！
「君たち、何をしてるんだ、開けないか！」
唐突に響いた太い声に、わたしも朝山くんも真っ青になった。
警備員さんの声だ！ どうしよう！？
よく考えてみれば、男女ふたりいっしょに個室に飛び込んだら、不審に思われても当たり前よね。
わたしたちは、じっと顔を見合わせた。
逃げようとしても、逃げ切れないわね。こうなったら、きちんと説明するしかない。
「……すみません。この子、今にももれそうで、女性トイレは並んでたから、こっちのほうに……」
「わたしからも謝ります。お騒がせしました。でも本当に、何もなかったんです」
トイレの外に出たわたしたちは、警備員に説明する。
「うーむ、キミ、そういう口実で、この子にいやらしいことはしてないだろうな。
うそをついていたら、即刻警察に引き渡すぞ」
警備員はわたしの目をのぞきこむように言う。なかなか疑いが晴れないんだ。
こういうとき、男って損なのよね。
「あの……、本当に、何もされてませんから、わたし。
服だって、汚れてないし。ね、警備員さん？」
言いながら、わたしの姿の朝山くんがポーズをとって、警備員に軽くウインクしてみせた。
うそ……。かわいい……。
わたしがわたしを見て、どうしてこんな感情を抱くんだろう。
この感情、前に夢で見たことがあるような……。
「うーむ、なるほど。確かに着衣が乱れている形跡はないな」
警備員の口調が、がらっと変わった。
「よし、彼女にめんじて、今回は許してやろう。さっさと行きたまえ」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとう、警備員さん、大好き」
こうして、わたしたちは無事に解放された。
女が男性トイレに入ることには、世の中はわりと寛容なのよね。これが逆だったら……。
「ああ、助かったわ。朝山くんの釈明のおかげよ」
「いやあ、女の子になりきる演技、大変だったぜ。
でもすごかったな。あの警備員、『俺に萌えっ！』て顔に書いてあったぞ」
「萌え」か……。
もしかしたらわたしも、あのときの朝山くんに対して、警備員と同じ感情を抱いたのかもしれない。
そうだったらわたし、どうなっちゃうんだろう……。
▲ ５ 今週のメチオニンは、異性関係に要注意だそうですよ ▼
そのあと、わたしは朝山くんと別れて、近所のお店をいくつかうろうろした。
書店に行ってみると、ロングヘアーにメガネの女子が出てくるところだった。
昨日見たばかりの顔だわ。
「本多さん」
「あっ、朝山くんよね、昨日は楽しかったわね」
「楽しかったって？」
「入れ替わり実験よ。また今度の土曜日にでもやってみたいわね」
「またあ？」
本多さんの目が輝いている。すごいひとだなあ。
けれども、わたしはもう実験はこりごりだった。たぶん朝山くんも同じだろう。
実験で生命を危険にさらすよりは、偶然でもとに戻るのを待ったほうがいいんじゃないかしら。
「それより本多さん、どんな本買ってきたの？」
彼女の手に、この書店の紙袋があった。
「新刊の小説よ。新しい該当作なの。
同時にくしゃみをした男女ふたりが入れ替わるんですって。
再現実験してみたいわよね」
また入れ替わり実験の話に戻っちゃった。
「それじゃね、本多さん」
「じ、じゃあね、朝山くん」
実験の話が盛り上がるまえに、わたしは本多さんから立ち去った。
河原まで足を伸ばしてみると、見覚えのある青いジャージの女子がランニングをしていた。
「後藤さん」
「やあ、朝山くんだね」
「今度は桂木さんじゃなくて、ボクと入れ替わり実験をしてみない？」
「えっ？」
後藤さんが唐突なことを言ってきた。どういうことかしら？
「ボク、一度キミの体で走ってみたいんだ。キミの体、結構運動センスあるよ。
ボクのやりかたで走れば、タイムがもっとよくなるんじゃないかと思うんだ。
ねえ、考えておいてよ」
「ははは……そうね」
わたしは軽く返しておいた。
「それにキミも、女の子の胸がほしいって思ったりしない？」
あのー、綾音のわたしのバスト、後藤さんと同じくらいなんですけど。
「後藤さん、そろそろランニングに戻ったら？」
「ああ、そうだ、じゃあね、朝山くん」
「それじゃ」
休みなのに、青空高校にも来てしまった。
「あっ、朝山先輩」
「あれ？ 弥生ちゃん」
テニスウェア姿の弥生ちゃんが、こっちに寄ってくる。
そうか、みさきちゃんが部活ってことは、弥生ちゃんもいっしょなのね。
「先輩、今週のメチオニンは、異性関係に要注意だそうですよ。
わたしにも注意したほうがいいですかもね、うふっ」
弥生ちゃんの占い好きは相変わらずだけど、どうしていきなりメチオニン？
「弥生ちゃん、なに？ そのメチオニンっていうの」
「アミノ酸占いですよ。先輩の名前の画数と生年月日から計算すると、先輩はメチオニンなんですよ。わたしはシステインです」
「なによそれ、“動物占い”みたいなもの？」
「はい。理科系占いって本に載ってるんです。元素占いや定数占い、火成岩占いもありますよ」
「ところで弥生ちゃん、アミノ酸ってなんだか知ってる？」
「いいえ。わたし理科系がまるでだめなんで。ただ占いに興味があっただけです。アミノ酸占いって、網野さんっていうひとが考えたんじゃないんですか？」
「うふふふ、網野システインとか網野メチオニンとか、アメリカ人とのハーフみたいね」
無邪気な弥生ちゃんに、わたしもつられて笑ってしまう。
「それじゃ先輩、部活の練習に戻ります」
「じゃあね、弥生ちゃん」
「ごめーん、待ったぁ？」
駅前通りに戻ってきたわたしに、背後からだれかの声が。
振り向くと、ロングヘアを後ろで一本に編んだ女子がいた。
「あれ？ 見覚えない顔ね」
わたしがそういうと、彼女はちょっと考えるポーズをとってから、驚きの手振りになる。
「あっ、人違いでした、ごめんなさーい！」
彼女は両手で大きくバツ印をつくりながら、そそくさと走り去っていった。
でも、いったいだれなんだろう。高校生くらいに見えたけど、もしかしたらうちの学校なのかしら？
▲ ６ 珍しいわね、輝一が服装なんて気にするなんて ▼
ずいぶんと日が傾いてきた。
今日は一日、街中を歩きまわったけれど、そろそろ帰り道につかないと。
朝山くんの家の近くの、児童公園にさしかかったときだった。
「あれえ？ 輝一じゃない」
広瀬さんの声だった。
「の、のぞみか」
振り向くと、広瀬さんが公園の端にひとりたたずんでいた。
「今そっち行くね。輝一、あちこち出かけてきたみたいだね」
そんなことを言いながら、広瀬さんが近づいてくる。
彼女の服装はタンクトップにＴシャツにジーパン。なんだか、とても地味なかっこうに思えた。
「ところでのぞみ、いつもそんなかっこうなのか？」
「悪いかしら？ わたしはこういうあっさりした服装のほうが好きなのよね」
なるほど、そうなのね。
「でも珍しいわね、輝一が服装なんて気にするなんて。
……わかった！ 桂木さんと比べてるんでしょ？」
「ち、違うよ！」
深読みのしすぎよ、広瀬さん。
「ふーん、輝一って、昨日なんて休み時間ごとに桂木さんに逢ってないかしら？
今日だって、出かけて桂木さんと逢ったんでしょ？ 逢えてよかったって、顔に書いてあるわよ！」
「考えすぎだよ！」
そりゃあ、わたしは“桂木さん”に逢いたいわよ。だって、桂木さんっていうのはわたし自身だし、この体の本当の持ち主の朝山くんなんだもの。互いに連絡を密にとらなくちゃ。
広瀬さんが思ってるように、わたしが“桂木さん”のことを好きだってことじゃないのよ。
……でも、そう言うことができないのよね。わたしたちが入れ替わってるってことは、秘密なんだから。
「輝一。桂木さんのことを考えるのもいいけど、もっと将来のことも考えなくちゃね」
「将来？」
「輝一は部活も入ってないんだから、勉強に力を入れないと、ロクな進路がないわよ」
「あ、ああそうだよな」
どうして広瀬さんって、わたしに保護者ぶるのかしら。
まるで、みさきちゃんみたいに。
「のぞみ、俺はもう行くぞ」
「じゃあね、輝一」
わたしたちは、不機嫌なあいさつで別れた。
▲ ７ のぞみお姉ちゃんとは相変わらず悪いわね
「本多先輩、後藤先輩、弥生が順調に上がってるわね」
今夜もわたしは、みさきちゃんの部屋で情報を聞く。
「桂木先輩も持ち直してるわね。お兄ちゃん、いったい何があったの？」
わたしはスーパーでのできごとを、みさきちゃんに話してきかせた。
「なるほど。これで、本当のお兄ちゃんも服装のセンスがよくなればいいんだけどね」
「それにしても、のぞみお姉ちゃんとは相変わらず悪いわね」
「ちょっとね。広瀬さん、わたしに口うるさいのよ」
「のぞみお姉ちゃんはね、幼稚園のころから本当のお兄ちゃんといっしょだったのよ。
家族全体でのつきあいもあるしね。
口うるさいのも仕方ないのよ」
「へえ」
「それにね、のぞみお姉ちゃんからなら、本当のお兄ちゃんのことをいろいろ聞けるんだから、もっと大切にしたほうがいいわよ。
だけど、転校のことと入れ替わりのことは、感づかれないように気をつけてね。
わたしたちの行動に一番敏感なの、のぞみお姉ちゃんなんだから」
うーん、どうにかして、広瀬さんとも仲良くしないと。
（第６回「４日目 月曜日」に続く）
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