※本作品はゲーム『トゥルー・ラブストーリー』のキャラクターと設定を使用しております。
『トゥルー・ラブストーリー』シリーズについてはこちらを参照ください。
トランス・ラブ
ストーリー
〜第３回「１日目 金曜日 その２」〜
作：こうけい
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１ 彼女、髪型が変よね？ ▼
駅前のバス停を通り過ぎると、道に青空高校の制服が増えてきた。
友達どうしで話しながら歩いてる子、ひとりで歩いてる子といろいろだ。
「あっ、桂木さん」
横から小声が聞こえて、びくんとなった。
わたしの、桂木綾音の声だ。朝山くんが近くにいる！
どこ？ どこ？ 立ち止まってあたりを見回す。
「ほら、こっちだよ！」
脇の小道から、朝山くんが手招きしているのが見えた。わたしは近づく。
髪が下ろしたままなのが気になるけれど。
「朝山くん！」
「このままじゃまずい、こっち来て」
わたしは朝山くんの後について、小道の奥へ入っていく。
「おい、今の桂木綾音だぜ」
「あの男子となにかあったのか？」
「彼女、髪型が変よね？ どうしたのかしら」
背後から、みんなのざわつき声が聞こえる。きっとあとで騒ぎになるわ。
でも、しかたないわよね。入れ替わったまま登校すれば、遅かれ早かれこうなるんだから。
▲ ２ この体になったら、涙もろくなっちゃってさ ▼
「このあたりでいいかな」
「……たぶんね」
わたしたちは小道をもう一回曲がって、家と家の間のすき間に入り込んだ。
うちの生徒が追ってくる気配はない。
わたしはあらたまって、わたしの体の朝山くんをまじまじと見つめた。
「ごめん桂木さん、髪の毛がうまく結べなくて」
待ってたかのように、朝山くんが口を開いた。
いつものわたしは、両脇の髪の毛を三つ編みにして、それをうしろにまわしてリボンでまとめてる。今ではすっかりトレードマークだ。
でも今日は、ただ下ろしただけのロングヘアー。朝山くん、寝坊でもしたのかしら。
「昨日メモ渡したでしょう？」
「ごめん、今朝あのとおりにやろうとしたんだけどな、どうしても形が整わなくて、やり直してるうちにバスの時間になっちゃって、車内でも挑戦したんだけど」
言いながら、朝山くんはカバンから紙切れを取り出した。わたしが渡した、髪の毛の結び方のメモだ。
くしゃくしゃになって、紙のあちこちがにじんでる。
よく見ると、朝山くんのほっぺのあちこちにも、涙が伝ったあとが。
「俺も桂木さんのヘアスタイルは知ってたし、せっかくメモもらったってのに、いざ自分で再現しようとするとできなくて、すっごくくやしくてさ」
半べそをかきながら鏡に向かう、わたしの姿の朝山くんが、目に浮かんだ。そこまでして……。
ブラッシングだけきちんとしてくれれば、下ろしただけの髪でもいいのに。
「これが桂木綾音だと思われるとはずかしくて、桂木さんに申し訳が立たないし、みんなに顔見せするのがつらいから、桂木さんが通りかかるまで、わき道に……」
そこまで話して、わたしの体の朝山くんが顔を両手で覆った。
「わっ、わっ、ほらこれ！」
わたしは自分のスラックスから、グレーのハンカチを取り出す。
――余談だけど、校則ではハンカチの色は白と決まってるらしい。でも、だれも守ってないの。――
「あっ……ありがとう。俺のハンカチだな。俺も持ってるぞ、桂木さんの」
朝山くんは片手で目をぬぐいながら、スカートのポケットからタオル地のハンカチを取り出した。
昨日と同じハンカチなのが気になったけど、今それは言えないわ。
「本当にごめんな。俺、この体になったら、涙もろくなっちゃってさ」
そうかもしれない。わたしって、ことあるごとによく泣いてたものね。
それに朝山くん、昨日の帰りからひとりぼっちで、みさきちゃんのような付き添いもいなかったんだ。
家に帰ってもひとりっ子だし。うちの両親、厳しいのよね。どんな会話をしてたのかしら。
大変だったでしょうね。心細かったでしょうね。泣いても当然よね。
「でも桂木さん、男の子は泣くなよな」
あっ、ハンカチを返されて気づいた。いつの間にかわたしまで、もらい泣きしてたんだ。
「とにかく、髪型つくってくれないか？
この場でやってもらえれば、俺もやりかた覚えられるかもしれないしさ」
「そうね、わかったわ」
断る理由はなにもなかった。
友達どうしで三つ編みにしたりすることもあるから、他人の髪をいじるのは慣れているし。
「リボンもちゃんと、持ってきたから」
朝山くんが綾音のカバンを開けると、わたしのピンクのリボンが入っていた。ブラシと手鏡もそろってる。
けれども同時にわたしは、ひとつ足りないものに気づいた。
「お弁当、どうしたの？」
「へっ？」
「わたし、お弁当は毎朝自分でつくってるんだけど」
「あっ、そういえば髪で忙しくて、弁当のことなんて考えもしなかったぞ！
いつもの俺だったら、母さんがつくってくれて、俺が朝飯食ってる間にカバンに入れてくれるんだ」
「まあ、男の子はそうよね」
確かに、今わたしが持ってる朝山くんのカバンの中には、ちゃんとお弁当が入ってる。
「桂木さん、その弁当譲ってくれないか？」
食べ物のことになると、突然エキサイトしはじめる朝山くん。
「でも、今はわたしが朝山くんなんだし、あなたのおなかにこのお弁当、入るかしら？
わたしの体のダイエットのことも、考えてね」
朝山くんのお弁当は、教科書くらいの大きさのお弁当箱が２段重ねになってて、それぞれにごはんとおかずが詰まってる。
いつものわたしには、到底食べられそうにない量だ。
「うっ、まあ……しょうがないか。昼は学食に行くとするか」
桂木綾音の体を見下ろしながら、朝山くんはがっくりと肩を落とした。
「そうするしかないわね」
わたしのお小遣いが少し減るけど、しかたないわ。
「それじゃ、髪型おねがい」
「ほら、これでできたわよ」
数分後、朝山くんの姿のわたしは、わたしの姿の朝山くんの後頭部のリボンを結び上げていた。
「うわあっ……これが俺か。桂木さん、よくまあ上手にできるよな。ありがと」
「明日にとはいわないけど、あと１ヶ月もしたら、朝山くんにも完璧にできるようになってほしいな」
「１ヶ月？ なんのこと？」
「あっ、それは秘密秘密！」
「なにが秘密なんだい！？」
しまった！ あと１ヶ月で転校ってこと、ばれちゃいそうだ！
「……そうそう、わたしたちが入れ替わったってことは、他人には秘密にしといてね。
みさきちゃん以外に、理解してくれるひとがいるとは思えないもの」
「まあ、そうだな。下手に言っちゃうと、元に戻ったときにまた面倒だしな」
ふう。なんとかごまかした。
「それと、朝山くん。みさきちゃ……みさきからも注意されたんだけど、これからは人前では、わたし……俺が、男言葉を使う……ぞ。
……桂木さんも、気をつけてくれよな」
「あっ、そうか……わかったわ。……朝山くん」
「それじゃ、俺は先に行ってるぜ。桂木さんも遅刻するなよ」
わたしは朝山くんの体で、学校に向けて駆け出した。
「ありがとう朝山くん、また学校でね！」
どうしてなんだろう。
お互い、体に合った言葉遣いをすると、なぜかしっくりときちゃうのよね。
わたしたちの中身の言葉遣いだって、大切にしたいのに……。
▲ ３ 男子ってのはこれだから！ ▼
「おはよう、朝山」
始業ベル５分前。わたしが２年Ｃ組の教室に入ると、ひとりの男子が声をかけてきた。
名前はわからないけれど、朝山くんの友達だろう。
「あ、おはよう」
とりあえず返事をしておく。
「おまえ、登校途中に、あの桂木綾音に呼び出されたんだろう？ なにかあったのか？」
もう噂は広まってたんだ！
でも、返事に困っちゃう。
「えっ、ああ……」
「昨日の放課後だって、いっしょに帰ったって聞いたぞ。うらやましいじゃないか。
もしかしたら、キスとか、したんじゃねえだろうな？」
彼はわたしの耳元でささやいた。
「まさか！」
いきなりヘンなこと言わないでよ！ 男子ってのはこれだから！
「まあいいさ。みんなのあこがれ、桂木綾音とふたりっきりになれたんだ。そりゃうれしかろうな」
答えあぐねていたら、彼は勝手に納得してくれた。
「この大須賀様に言えないことだってあろうよ。わかるわかるその気持ち」
なるほど、彼は大須賀くんっていうんだ。覚えておかないと。
「でもな、桂木さんをモノにしたい想いは、俺様だって負けないからな」
「が、がんばってね」
席につこうとしたとき、広瀬さんと目が合った。
「おはよ、輝一」
「さっきもあいさつしただろ」
わたしはぷいっと視線をそらして、素っ気なく返事をした。
それから数分間くらい、広瀬さんの視線を感じっぱなしだった。
▲ ４ ラッキープレイスは、学校の廊下ですよ ▼
Ａ組と同じつくりのはずなのに、顔ぶれやわたしの席の位置が違うというだけで、なんとなく落ち着かない教室。
時間割や科目担当の先生が違うのにも戸惑った。
たった２コマしか過ぎてないのに、１日分くらい疲れた気分だ。
２限目、英文法の時間は、三上先生に指名されてびっくりした。
Ａ組担当の先生と違って、席順に関係なくあててくるんだもの。
とっさに答えられたからよかったけれど。
本当の朝山くんは、こんなときどうだったんだろう。
そんなことを考えながら、廊下を歩いていた休み時間のことだった。
「お兄ちゃん」
みさきちゃんの声だ。
「あっ、どうした？ みさき」
わたしは意識しながら、みさきちゃんを呼び切りする。
「よろしい。呼び捨てで呼んでるね。それでこそお兄ちゃんだ」
「ああ……、俺も、輝一になりきらないと……な。ところで、なんの用だ？」
「お兄ちゃんにね、逢いたいって言ってる女の子を紹介するわ」
「俺に？」
「昨日話した、わたしの親友の弥生よ」
弥生？ あっ、昨日、そんな名前、聞いてたな。
どんな女の子なんだろう、ちょっと興味ある。
「ほら弥生、前に出てきて」
みさきちゃんが呼ぶと、背後から小柄な女子が現れた。なんだか、すごく赤面してる。
そうそう、この子なら、テニスコートで見たことがあったわ。
みさきちゃんといっしょに練習してた子だ。同じテニス部なんだろう。
「あ、あの……南、弥生（みなみ やよい）っていいます。朝山先輩、はじめまして」
「はじめまして、南さん」
「あっ、そんな、かしこまられると……」
「お兄ちゃん、弥生ちゃんって呼んでやりなよ」
「ああ、弥生ちゃん、みさきがいつもお世話になってるね」
「こちらこそ、みさきちゃんにはお世話になりっぱなしです。
みさきちゃんから先輩のこと聞いて、あいさつしたいなって思ってたんです」
弥生ちゃんのコチコチとした態度が、少しだけ緩んできた。
人見知りはするけれど、悪い子じゃないみたいね。
「ところで、朝山先輩の誕生日と血液型、教えてもらえます？」
「６月１０日、ＡＢ型だよ」
「へえ、ふたご座ですね。今週のふたご座は……」
妖精の絵がついた、かわいい手帳をめくりながら調べる弥生ちゃん。
「ふたご座のラッキープレイスは、学校の廊下ですよ」
「えっ？」
昨日のことを思い出した。あれをラッキーというかどうかはわからないけど、朝山くんとわたし、学校の廊下で入れ替わったのよ！
「弥生ちゃん、確かに学校の廊下って、俺、心当たりあるよ」
「あと、ＡＢ型は前方注意ってありますよ」
うそ、これも当たってる！
「ちょっとお兄ちゃん、それって違わない？」
みさきちゃんが横目で見てる。
……あっ！ 桂木綾音のプロフィールを言っちゃったんだ。
でも、朝山くんの誕生日は知らないのよね。
「お兄ちゃんはね、７月１４日生まれのＯ型よ」
「そうそう、フォローありがと、みさき。ごめんね、弥生ちゃん」
「７月１４日というとかに座ですね。かに座のラッキープレイスは……保健室ですよ」
「保健室？ やっぱり当たってる」
入れ替わったのに気づいたのは、保健室なんだから。
「じゃあ、今週のＯ型の注意することは？」
「えっと……家族の言葉です」
それって、引っ越しと転校のことじゃないの！
すごい！ 弥生ちゃんって、本当に不思議な能力を持ってるみたいだ。
こういう子だったら、わたしたちの入れ替わりのこと、信じてくれるかも。
▲ ５ 朝山先輩になにかしたんですか！？ ▼
「ところで弥生ちゃん、聞きたいことがあるんだけど」
わたしは、弥生ちゃんの目の奥をのぞきこむようにして話しかけた。
「なんですか？ 先輩」
「弥生ちゃんは、人の心と体が入れ替わるってこと、あると思うかい？」
「ちょっとお兄ちゃん？」
みさきちゃんがあわてだした。
「みさき、弥生ちゃんなら信じてくれるって、昨日は言ってなかったか？」
「あれから考え直したの。弥生には無理だって」
乗り気でないみさきちゃん。でもわたしは構わず続けた。
「……いきなり、なんのことですか？」
弥生ちゃんは目をまるくしたまま、ゆっくりと口を開いた。
「ちょっとね、思いついてみたことなんだけど。
俺の体は、どう見ても朝山輝一だよな、弥生ちゃん？」
「ええ」
「でも、もしも、俺の中身が別のひとだったら、弥生ちゃんはどうする？」
「いやだ、朝山先輩ったら。そんなことないですよ。先輩は先輩です、しっかりしてくださいよお」
そう言いながら、弥生ちゃんはわたしの腕をつかんで左右にゆする。
なんだか、話がうまくかみ合ってないみたい。
「おっ、みさき……ちゃんと、朝山くん」
突然聞こえた綾音の声に、わたしはふりかえる。果たして、朝山くんがいた。
「あさ……桂木さん？」
「桂木先輩だ……」
弥生ちゃんも、桂木綾音のことは知っていたようだ。でもなぜか、弥生ちゃんの表情がこわばってきた。
チャンスかもしれない。
「ねえ桂木さん、俺たちが入れ替わってるってこと、この子にだけはわかるように説明したいんだ。協力してくれない？」
わたしは朝山くんの言葉遣いで、わたしの体の朝山くんに耳打ちした。
「いいわ。うまくいけばいいけど」
朝山くんは小さくうなずいた。
「もしもだ、俺が桂木先輩でだ、ここにいる桂木先輩が、本当は朝山輝一だなんていったら、弥生ちゃんはおもしろいって思うかい？」
わたしはもう一度、弥生ちゃんに話しかけた。
「そうそう。もしもわたしの中身が、男だったら？」
朝山くんも乗り気になってきた。
ところが、弥生ちゃんの顔色が、今度は蒼ざめてきた。
「桂木先輩……朝山先輩になにかしたんですか！？」
弥生ちゃんは、わたしの体の朝山くんのほうを向いて言う。
「別にわたし、なにもしてないけど……弥生ちゃん、大丈夫？」
朝山くんが、弥生ちゃんのほうに足を踏み出す。
とたんに、弥生ちゃんはわたしたちに背を向けて走り去った。
「わたし、し、失礼します！！」
「あーあ、弥生の機嫌悪くなっちゃった。
だから言ったでしょ、お兄ちゃんも桂木先輩も」
「ごめんね、あさ……桂木さん」
「ううん、いいわ。わたしもみさき……ちゃんから弥生って名前聞いてたから、朝山くんに協力したんだけどね」
もしかしたら弥生ちゃんは、わたしが、というか、桂木綾音という人物が、苦手なのかもしれない。
「昨日はわたしも、弥生だったら信じてくれるかもって思ってた。
けどね、あの子って、こういう複雑な想像は苦手なのよ。
弥生ってね、数字が３つ以上並んでるのを見ると、頭がくらくらしちゃうくらいなんだから」
「俺が朝山くんになりきって男言葉で説明したのも、悪かったのかなあ」
「あれは仕方ないでしょ、通りかかる子もいるんだから」
そこに授業開始のベルが鳴ったので、わたしたちは教室に戻った。
▲ ６ どうして、男の子ってこんなに食欲があるんだろう ▼
昼休み。わたしは学食に行ってみた。
お弁当のない朝山くんは、間違いなく来てるはず。
果たしてすぐに、わたしの姿の朝山くんが見つかった。それも、テーブルにランチを半分残したままで！
「まいったよなあ、どうしたらいいんだよ」
朝山くんは、ランチを前にぶつぶつとつぶやいていた。
「桂木さん、どうしたんだい？」
まわりから不審がられないように、わたしは朝山くんになりきって声をかけた。
「あ、朝山くんじゃないの。見てよこれ」
会話になると女言葉にスイッチするあたり、朝山くんも慣れてきたのかも。
「わたし今日は弁当がなくておなかがぺこぺこだったから、ランチの大盛り頼んだ……のよ」
えっ、大盛りだったの？ うちの学食の大盛りって、男子でもなかなか食べきれないって有名なのに。
「そしたら、このおなか、あっという間にいっぱいになっちゃって、半分しか入らなかった……の。まいったわあ。女の子って損よね」
朝山くんはさびしそうな目で、朝山くんの体のわたしのおなかに目をやる。
「大丈夫大丈夫、女の子だってお菓子とかは別腹で入るから。でもダイエットには気をつけてね」
あわてて、答えになってないような答えをするわたし。
くぅー。
そのときわたしのおなかが鳴り出した。
「あっ、かつ……朝山くん、もうすこし食べたほうがよかったんじゃ？」
「でも、さっきお弁当全部食べたばかりなんだけど」
「もしかしたら、早弁してない？」
「あっ！」
ずばり、その通りだった。
朝山くんの体のわたしは、３限目からおなかがすいていた。４限目が始まったら、もうがまんができなくなっていた。
綾音のときには、こんなことはなかったのに！
いけないこととは知りながら、教科書とノートをついたてにして、その陰でお弁当を食べはじめたの。
近くじゃ、大須賀くんも同じことしてたのが見えたけどね。
４限目が終わったときには、お弁当箱には米粒ひとつ残ってなかった。
どうして、男の子ってこんなに食欲があるんだろうって、自分に愚痴をいいたくなったわ。
「やっぱり……。早弁すると、お昼におなかが空いて当然だよ。
輝一だったときの俺も、よく経験あるから」
「そんな……、これからはどうしたらいいのかしら？」
「まあ、空腹感に襲われたら、お昼までがまんするしかないな。
授業に集中すれば、なんとかなるかも。まあ、輝一のときの俺には難しかったけどな。でも桂木さんならできるだろ？」
「なるほど、それなら……」
「桂木さんは今までこういう経験がなかったから、おなかがすいてからがまんするってことに慣れないで、すぐ早弁しちゃったんだな。男の子にも、覚えることはいろいろあるんだぜ。
でもな、今の俺は、早弁ができそうにない体質なのがすごく悲しいんだよ！」
朝山くんは握りこぶしにぐっと力を込めて、天井を仰いでいた。
くぅ〜〜〜。
今度はさっきよりも長く、わたしのおなかの虫が悲鳴をあげた。
「ほら桂木さん、このランチ、食べていいよ。ここに座ってさ」
「いいの？ 悪いんじゃ？」
「俺の体が求めてるんだから、食べさせてやれよ」
「あっ、ありがとう」
わたしは替えのお箸とスプーンをもってきて、朝山くんのかわりにいすに座った。
「それじゃあ、俺……わたし行くわね！ しっかり食べてよ！」
朝山くんは、またわたしの言葉遣いになって、学食をあとにしていった。
気がついたら、わたしはランチをきれいに平らげていた。
ふうっ……。
これが朝山くんの、男の子の食欲なのね。
わたしのお小遣いで大盛り券を買った朝山くんに、さっきはちょっと嫌味でもこぼそうかと思ってたけど、
結局はわたしが食べたんだから、これでいいのか……。
▲ ７ 女言葉で怒鳴られたのははじめてだった ▼
朝山輝一としての長い学校生活１日目がようやく終わって、放課後になった。
これからどうしよう。
綾音だったときのわたしは音楽部。でも朝山くんは帰宅部なのよね。
わたしの体の朝山くんと話し合いたい。
そう思いながら、２年Ａ組の教室の前に向かったら、ちょうど当人が出てくるところだった。
「桂木さん」
今のは、朝山くんの体のわたしのセリフ。
「あっ、朝山くん」
こっちが、わたしの体の朝山くんのセリフね。
「放課後、どうするの？ わた……桂木さん、音楽部だよね」
「あっ、そうだった……でも、いきなり部活だなんていわれても」
「綾音、部活行かないの？」
音楽部の子が呼んでる。
「ごめん、取り込み中！」
わたしたちは、１階の階段の陰に移動した。ここだったら、まわりから気づかれにくい。
「お願い朝山くん、わたしになって、部活に出てくれない？」
「でも俺、楽器なんて何もできないよ」
「いいじゃない、これをきっかけに、やってみれば？」
またまた、もとの自分たちの言葉遣いになっている。
「桂木さんは、音楽部でなんの楽器をやってたの？」
「ピアノよ」
「無茶だよ。俺が弾いたことあるのは、小学校のときの鍵盤ハーモニカくらいだぜ」
「練習すればなんとかなるわ。なんなら、人がいないときの音楽室で、わたしが教えてあげようか？」
朝山くんの顔色は、どうみても乗り気とはいえなかった。
けれどもわたしは、わたしの体の朝山くんに、外見や態度だけでなく学校生活の面でも、できるだけ綾音になってほしかった。
せっかくの音楽部なんだから、朝山くんに続けてほしかった。
綾音としての将来を考えてほしかった。
そのためなら、ピアノを教えてあげるっていうのも本気だった。
だって、このまま１ヶ月が過ぎたら、もう朝山くんは綾音のままなんだから。
でも、転校のことを黙ったままで、わたしの考えを伝えようとしても、隔靴掻痒というか、あまりにももどかしかった。
「そうだ、桂木さんが、俺の名前で音楽部に入部すれば？」
朝山くんがひらめく。
「ごめんなさい、それはできないの」
「どうしてできないんだよ！？」
本当はわたしも、いい考えだと思った。
だけどだめ、もうすぐ転校しちゃうんだもの。
「とにかく、俺帰るからな、音楽部も、休部ってことにしといてくれ」
「バス停までいっしょにいこうか？」
「こなくていい……わよ！ もう帰り方、わかってるんだから！！」
朝山くんは女言葉に戻ると、わたしを残して歩き去っていった。
その跡には、点々と涙のしずくが落ちていた。
わたしはひとり、朝山くんの家へと下校する。
わたしの声で、それも女言葉で怒鳴られたのははじめてだった。
自分に裏切られたみたいで、ものすごく悲しくて、空しくて、せつなかった。
朝山くんとわたしとの間に、すきまができかけているんじゃないかしら。
そんな心配が、わたしの頭をよぎっていった。
▲ ８ ノックは忘れずにね
「桂木さん、というか、本当のお兄ちゃんだけど、ちょっと仲が悪くなってない？
のぞみお姉ちゃんとの関係もヘンだし、なにかあったの？」
みさきちゃんが心配そうに、わたしの顔をのぞきこんだ。
みさきちゃん、女子生徒たちのわたしへの好感度を教えてくれるっていうの。
どこからそんな情報を仕入れるのかはわからないんだけど。
とにかく、わたしはみさきちゃんのお部屋にお邪魔したの。
ノックは忘れずにね。
でも、初回のみさきチェックは、ちょっときびしいものだった。
「どうしよう。わたしたち、もとに戻れるのかしら？」
「わたしにできることだったら、これからも協力するね。
わたしだって、お兄ちゃんが桂木先輩に戻ってくれて、本当のお兄ちゃんといっしょに転校できればなあって、思ってるんだから。
それじゃ、がんばって、お兄ちゃんな桂木先輩」
（第４回「２日目 土曜日」に続く）
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