BACK TO THE FEMALE
作：こうけい



第３回

２３　計画　▼

「あああ…どうしよう…」
自分の体を触りながら何度もうろたえるマサミ。
時刻はすでに夜１０時。
夜勤から帰ってひと寝入りして、昼すぎに起きてからずっとこうなのだ。

マサミの体はさらに女性に近づいていた。
胸はＢカップのままだが、乳輪が少しずつ大きくなっていたのだ。
股間ではモノの周辺部が心なしか凹み始めていた。これが割れ目になるのか…。

あのキスの直後、愕然として走り去った祥司の顔。
それでいて、マサミの女性化は進む一方。
祥司はまだまだ自分を好いているんだ。そして玲美との仲はいわずもがな…。
「お兄ちゃん遅いよ…」
八方ふさがりの状況だ。せめて夢人がいてくれたなら、それだけで心強くなれるのに。

そのとき、大きな声と共にアパートの扉が開く。
「くそっ！３駅先の店でもだめだった！明日はますます望み薄だ…」
「お兄ちゃん、おかえりなさい…」
夢人は今日も、研究を終えたあと週刊マーガレット４８号を求めてさまよい歩いていたのだ。だが、それも徒労に終わった。やはり運命を変えることはできないのだろう。

しかし、すぐに夢人は顔をほころばせた。
「マサミよ、よくぞ就職を決めたな。めでたいぞ！」
「えっ？どうしてそれを？」
今朝は夢人と入れ違いで、顔を合わせてなかったはずなのに。
「さっき入江さんから聞いたぞ。妹さん気に入ったわ、ともな」
なるほどそういうことか。納得したマサミは詳しい事情を話した。
「心強いな、マサミ。完全に女性化して祥司と結婚しても、収入源があるじゃないか。
そりゃあ、正式に看護学校に行って看護婦になるのがベターだろうがな」
「そんな！縁起でもないこと言わないでよ！」
「悪い悪い、冗談だ。むしろキスの件を考えれば、マサミは男に戻れるんじゃないか？
つまり、入江さんと結婚して自分の父親になるってことだ」
「そ、それもいやだよ！だいたい、ボクの体はますます女性化してるんだし」
マサミはふっと表情を曇らせた。

「なるほど、入江さんがキミに惚れたというわけじゃないんだな。
だったら、槙原への牽制かもしれん。あなたが自分よりマサミを選ぼうとするんだったら、自分がマサミとくっついちゃいますよ、というな」
「入江さん、まだ槙原さんへの愛情が残っているのかな？」
「そういうことだろう。まだ望みを捨ててはいけないぞ！」
夢人はガッツポーズをとってみせた。

「そうだマサミ、逆にこの状況を利用してみたらどうだ？」
夢人の目が輝く。
「休みの日に、入江さんといっしょに遊びに出かけるんだ。そこでキミが態度を豹変させて、入江さんにわざとつらくあたる。私がそこに槙原を待ち構えさせておく。槙原に入江さんを救わせるのさ。
これでふたりは仲直り間違いなしだ」
「ずいぶんとストレートな手だね。うまくいくかなあ？」
「やってみないとわからんさ」
疑問は残りながらも、マサミは夢人の計画にうなずいた。

翌日朝、マサミと夢人は大学裏の草地へと向かった。
「すまんな。現地を見ないことには寸法の見積もりもできないんでな」
「いいよ、ボクもタイムマシンがどうなってるか気になってたしね」
「ところで、このあたりは宅地造成予定があるらしいな。鉄道の新線もできると聞いたぞ」
「高校もできるはずなんだけど、知ってる？」
「ほう、それは知らなかった」
「ボク、そこの高校に入るんだ。そしてお兄ちゃんも先生になって赴任するんだよ」
「なるほど。２００１年が楽しみだな」

そうこう話をしているうちに、問題の落とし穴へとたどり着いた。
あれから２日たったが穴に変化はみられない。底には無傷のカプセルが見える。
「だれにも気づかれてないようだな」
「でも、土ぼこりや落ち葉がたまっているよ」
「よし、ビニールシートを持ってきて正解だったな」
夢人は巻尺を取り出し、土を落とさないように慎重に穴の寸法を測る。
ひととおりの見積もりを終えると、穴にシートをかぶせて上に落ち葉を載せた。
「それとね、タイムマシンを持ち上げたら、あの祠まで持ち上げたいんだけど」
マサミは向こうの森を指さした。
「あそこまでか。カプセルは２０ｋｇあるんだろう？持ち運ぶのは辛いな。
そうだ、キャタピラを使った自走式クレーンにしよう。なあに、作業日程に変わりはないさ」

夢人は笑いながらマサミのほうを振り返る。
けれどもマサミは、別なことが気にかかっていた。
機械が完成しても、それを使う機会があるかどうかだ。
自分が完全に女性化してしまったら元も子も…。



▲　２４　女どうし？の遊園地　▼

マサミは非常勤の看護婦として、ときには日勤、ときには夜勤と充実した日々を送っていた。
あれからはマサミの肉体に変化はない。マサミが玲美と同じシフトに入っていて、祥司が手を出せなかったからだろう。
夢人のほうも、昼は修士論文の研究、夜は自宅でクレーンの組み立てと多忙が続いた。
そんな中でも、ふたりは着々と計画を進めていた。そう、祥司と玲美の仲をもとに戻すためのデート作戦だ。
デート先に選ばれたのは、沿線にある遊園地。そう、２００１年で剛が雅巳をデートに誘ったあの場所だ。
１４日の金曜日は玲美とマサミの公休日が重なっていた。
さっそくマサミが話をとりつけると、玲美は喜んでＯＫしてくれた。
この日は産婦人科の事情があって、祥司の実習も午前中で終わり。
夢人も昼に研究室を抜けられるよう教授に話をつけ、祥司を遊園地に誘うことにも成功した。

そして１４日がやってきた。
マサミの服装はダークブラウンの丸首セーターにベージュのプリーツスカート。看護婦の給料で新しく買った服だ。
「うんうん、いけてる。さすがわが妹だ」
「ありがとう、お兄ちゃん」
ファッションにあまり詳しくない夢人は、とにかくなんにでも感心するばかりなのだが、それでもマサミにはうれしいのである。
「それじゃ、行ってくるね」
「私も祥司と後から行く、作戦はわかったな」
「うん、うまくやってよ」

駅から電車で３つ、遊園地最寄駅の改札をくぐる。
「自動でない改札を通るのも久しぶりだなあ…」
駅員に切符を渡しながらマサミがつぶやいたときだった。
「あっ、マサミさん、こっち！」
玲美が左のほうから声をかけてきた。
オレンジ色のブラウスとピンクのカーディガン、フリルのついた赤いフレアスカート。
スーパーで見たときとは一転して、明るめのスタイルで決めた玲美に、マサミは一瞬どっきりした。
しかし、考えてみればこのファッションセンス、２００１年にも身近なところで見ていたのである。

「入江さんってなかなかかわいい服持ってますね」
「仕事じゃないんだから、玲美でいいわ」
「あっ、そうね。じゃ、ボクも呼び捨てでいいよ」
「マサミ、わたしが服選んであげるから、今度はショッピングに行かない？」
「うん、いいよ。ところで、ボクの母親も、こういうスタイルが好きなんだよね」
「へええ、おもしろいお母さんね。一度逢ってみたいわ」
「意外と身近で逢ってるかもよ？」
話に花を咲かせながら、ふたりは遊園地のゲートをくぐっていった。

「へえ、空いてるわね」
「ラッキーだね！」
園内はがらがらで、行列のある乗り物は見当たらない。やはり平日だからだろう。
「マサミ、最初は何に乗る？」
「もちろん自由落下マシーン！」
マサミはこれが大好きだった。
なぜか戸惑い顔の玲美の手を引っ張り、園内中央の植え込みの横へと急ぐ。
しかし、そこにあったものは、園内遊覧列車の駅。
「あれ…？これって、幼稚園のころ乗った…」
思い出した。列車は雅巳が小学生のころに廃止されて、跡地に自由落下マシーンができたのだ。
道理で玲美が戸惑っていたわけだ。

「ご、ごめんね！ボク、勘違いしてた」
あわてて照れ隠しをするマサミ。
「でもこういう列車、遊園地って気分がするわよね。乗ろうよ」
「そ、そうだね、そうしよう」
ＳＬを模した機関車も、後ろに続く客車も、まだ新しい。雅巳が幼稚園のころに乗ったのとは全然感じが違う。
ふたり並んで座ったマサミたちは、車窓から園内の雰囲気を存分に味わった。

雅巳はこの遊園地には何度も来ているから、勝手は知れている。最後に行ったのはつい去年のことだ。
でも、それはこの現在からは２５年も先のこと。だから、園内は目新しさでいっぱいだった。
昔なつかしいもの、記憶にないもの。乗り物もかなり入れ替わっている。
宙返りしないジェットコースター。
ゆっくり回転しながら上下する展望台。
そして、上下にゆれながらぐるぐる回る飛行機…。
２００１年と比べたら貧弱なものばかりかもしれない。
しかし、玲美たちこの時代の人たちには十分楽しめるのだ。
マサミもいつしか、未来の記憶を棚上げしていた。
コーヒーカップ、メリーゴーランド、ゴーカート。ふたりは和気あいあいと乗り物をハシゴする。

売店でソフトクリームを食べたあとは、気分を変えて屋内のゲームコーナーへ。
玉が１０個入ると景品が出る簡易パチンコや、モグラ叩き、エアーホッケーを楽しむ。テレビゲームなんてもちろんない。
「それにしても、マサミってここに慣れてるみたいね。来たことあるの？」
エアーホッケーのコート越しに会話するふたり。
「う、ううん。初めてだよ」
マサミはどきっとして、動きを止める。
次の瞬間、平たい板がマサミ側のコートに吸い込まれた。
「わあっ！今度はわたしの勝ちね」
マサミの連勝は４でストップしてしまった。けれども、玲美の話がそれたのでほっとする。



▲　２５　葛藤と異変　▼

ふたりは緑地帯のベンチに腰かけている。
もともと園内が空いている上に、このあたりは乗り物から遠いので人から目につきにくい。
時計の針が午後３時を回った。
そろそろ夢人との作戦を始める時刻だ。合図はまだかと、マサミは気が気でならない。

だがその一方で、マサミの心境は変わってきていた。
すぐ横にいる玲美に親しみを覚えはじめたのだ。
異性としてでも、ましては母親としてでもない。同性の友人としての意識が芽生えてきたのだ。
「ねえマサミっ、このペンダントかわいいでしょ？売ってる店教えてあげようか」
「うん、お願い…」
自分の気持ちを認識しなおすたびに、マサミは作戦への意欲をなくしていった。
どうしてこんなことをしないといけないんだ…。後ろめたいな…。玲美を怒らせたくないよ…。

そのとき、マサミの背中に何かが当たる。
ふりむいてみると、近くの木のかげから夢人が手を振っていた。作戦開始の合図だ。遠くに祥司の姿も見える。
…やっぱり、作戦を止めるわけにはいかないんだ。マサミは我に返った。

「…玲美…この間は、びっくりしたよ」
マサミは急に、玲美に顔を近づけていく。
「えっ？この間って？」
「ボクに、ほら、キスしてくれたじゃないの？」
「あ…あれは、ほら…」
混乱してくる玲美。
「またやらない？キスとかさ…」
「い、いやっ、マサミっ、どうしたの？」
玲美の血の気が引いていく。

今だ、押し倒すんだ！
マサミは心の中で自分にそう叫んだ。
しかし、体は動かなかった。
…だめだ！ボクにはできない！

「マサミ！やめてよ！」
玲美の両手が、力の緩んだマサミの肩をつかむ。
「ねえ、なにか言ってよ。いったいどうしちゃったの！？」
マサミは何も答えられず、肩を揺らされるばかりだった。

「ええい！どうしたマサミ！」
難航する作戦に、とうとう夢人がしびれを切らした。
「ならば私が悪役を買って出る！入江さんすまない！」
ふたりの前に飛び出した夢人は、マサミから玲美をひきはがす。
「やめて！葵さんまで！どうして！？」

そこへ祥司が飛び込んできた。
「おい、やめろ！葵、いったい何をしているんだ！」
夢人はニヤリと笑う。紆余曲折はあったが、これで作戦は成功だ！
ところが、祥司は玲美を無視して、横で怯えていたマサミをかばったのだ！
「マサミちゃん、怪我はないかい？」

「お、おい槙原、違うだろう！」
うろたえる夢人。しかし、祥司の勢いは止めようがなかった。
「マサミちゃん、危ないよ、ほら」
祥司の腕がマサミの胴体をひしっとつかんで離さない。
マサミの全身へと、祥司の体温が伝わっていく。
そのときだった、マサミが急激な心境の変化に襲われたのは！

「ああっ…祥司…さん…」
突然、マサミの目がとろんと潤みはじめる。そして、自分のほうから祥司に唇を重ねようとするではないか！
「どうしたマサミ、何があった！？」
夢人が叫んでも、マサミの耳には届かない。
「マサミちゃん…やっとその気になってくれたんだね！」
「祥司さん…好きです…」
「うれしいっ！もう離さないよ！」
マサミと祥司は草むらに転がりながら、互いを強く抱擁する。
「いやあっ！葵さんも祥司さんもマサミも、みんなでわたしをもてあそんだのね！」
玲美の金切り声が響きわたる。

夢人はとっさにマサミの頬を手のひらでひっぱたく。すると、マサミの目が正気に戻った。
「痛いっ…うわっ！ボク、なんで槙原さんと！？」
「よかった、妹よ！」
せっかくのムードをぶち壊された祥司は、夢人に抗議する。
「なんでマサミちゃんに乱暴するんだ？」
「私はマサミの兄として、妹に正気に戻ってほしかったのだ」
「いくらお兄さんだって女の子の頬をなぐるなんてあんまりじゃ？」
「事情があるんだ。マサミは正気ではなかったのだ」
「さっぱり意味がわからないぞ！…あっ、玲美！？」
「葵さんも祥司さんもマサミも、みんな大っ嫌い！」

４人の人間関係はすっかり無茶苦茶になっていた。



▲　２６　脱力の兄妹　▼

翌１５日、土曜日。
せっかくの昼間だというのに、アパートでそろって横になる夢人とマサミ。
仮の兄と妹が、天井を呆然とながめていた。
今日が週刊マーガレットの発売日なんてことは、もうどうでもよくなっていた。

「マサミよ、これだけ事態が深刻になるとは思わなかったな」
「うん、今日一日くらいは何もしないで過ごしたいよ…」
昨日の遊園地での一件で、ふたりはすっかり打ちのめされていた。
ふたりは祥司とも玲美とも話しづらい関係になってしまったのだ。

「おまけに非常勤の看護婦もクビか…」
そう、今朝婦長から電話があった。正規の新しい看護婦が入ったので、マサミはお役御免、という連絡だ。
「ボクが玲美を怒らせちゃったからかなあ？」
「それは考えすぎさ。入江さんに人事権があるわけじゃなし」
「そうだね。お兄ちゃんは学校行かなくていいの？」
「いいのさ、一日くらい休んだって。今日はこうやって、ふたりで愚痴をこぼしあおうさ」
夢人も研究の気力をなくして、研究室に欠席の電話を入れているのだ。

「よけいな作戦をたててすまなかったな」
「違うよお兄ちゃん、ボクのせいだよ。ボク、玲美とデートしてるうちに、大切な友達のように思えてきたんだ…」
「いや、あれは酷なことを言った私が悪い。何も知らない入江さんにも本当に悪いことをした」
機会があれば早く玲美と仲直りしたい。これはマサミも夢人も同じだった。
「だがな、槙原はいかん。あいつはどうして打ち合わせ通りに動かないのだ？
入江さんとよりを戻す気があるのか！？」
「まだ気にかけてはいるはずなんだよね…」
マサミは、食堂で新藤から玲美の名前を出されたときの、祥司のうろたえた態度を思い出した。
「だけど、だけど………ボク、怖いよ…。どうなっちゃうんだ…」

祥司につかまれたときのできことは、今でも信じられない。
前に祥司の体に触れたときには感じなかった、この人にすべてを任せたいという感情。そう、２１世紀に剛と触れ合っていたときにだけ感じていたはずのあの気持ちが、心の奥底から湧きあがってきたのだ。
どうして突然、祥司にこんな感情を？心のどこかには疑問や反発もあるのに、それは口にも態度にも出せなかった。
夢人にひっぱたかれなかったら、あのまま祥司と…。それを考えただけで空恐ろしくなる。
「とうとう肉体だけでなく精神改変まで始まったか。時の自浄作用もそこまで進行してきたんだな」
夢人がポツリとつぶやく。

マサミは目を大きく開いて天井を見つめた。
「今度の２４日は大学祭だよ。この日までにあのふたりは仲直りして、はじめて結婚を意識するはずなんだ！」
「ああ、そう聞いたな」
「もしもこの日までに仲直りができなかったら…終わりだよ」
大きなため息がもれる。
「ボク…心まですっかり変わって、槙原さんのことしか見えなくなっちゃって、そのまま結婚しちゃうんだろうな…」
マサミは自分の股間に手をやってみる。
下着の上からもわかる、はっきりとした縦の溝ができていた。小指の先くらいに小さくなった男のモノが、そこに沈みかけている。
「もう、ここも半分女だよ。そのうち子供も産めるようになっちゃうんだ…。敬寛兄さんを、そしてボクを…！」
そう、下腹部には圧迫感があった。子宮ができかけているに違いない。
「お兄ちゃん、胸、触ってみて」
「あ、ああ…」
胸もＣカップまで大きくなり、乳首も弾性を帯びてきていた。
夢人が服の上から触っても、今までとの違いがはっきりわかる。
「タイムリミットまで１０日を切ったか…。
マサミ、極力槙原に近づくな。近づくときには必ず私といっしょにいろ。いざとなったら殴ってでも正気に戻してやるぞ。
まだあきらめるな！」
「うん。だけどそれだけじゃ、とても………！！」
あおむけになったマサミの横顔に、いく筋もの光る縦線が走る。

「ああっ…剛………」
１９７５年に来てから、マサミは初めてこの名前を口にした。
毎日がめまぐるしくて、思い出す暇さえなかった名前。けれども危機に瀕した今は、まざまざと面影が浮かんでくる。
剛は今ごろどうしているだろう。いや、この時代にはまだ生まれてないんだっけ…。
「逢いたいよ…剛ぃ…」
「ツヨシ？だれのことだ？」
「剛は、ボクの…ボーイフレンドなんだ。２００１年のね」
「ほう、男の恋人がいるとはやるな」
「だけど、ちょっとしたことでケンカしちゃって、謝ろうと思ったんだけど、その前にタイムスリップしちゃったんだ…」
一語一句を口に出すたびに、マサミの胸に無念さが広がっていった。
もとの女装少年に戻りたい。２００１年に戻りたい。そして剛に謝りたいのに…。
「ボクがボクを産んだら、剛は息子の友人でしかなくなっちゃう。そんなの嫌だよ…！」

兄の胸を借りて泣きじゃくる妹の声が、部屋にいつまでも響いていた。



▲　２７　新しい仕事先　▼

１７日、週明けの月曜日。
夢人はなんとか研究の気力を取り戻し、大学に出てきた。
とはいえ、マサミたちの問題が解決したわけでは全然ない。とりあえず棚上げして、なるようになると思い込んだだけである。
それでも昨日はマサミも一応元気になったようだ。
ふたりで駅前をブラブラしたらマサミが妙な勧誘に引っ掛かりそうになったのには、ビックリしたが。

そんな夢人が、実験の合間に大学の外まで足をのばしたときだった。
「んっ？なんだ、あの一軒家は？」
正門を出て左に行ったところで、夢人は目をまるくした。
建設中だった家が完成したのだが、ふつうの家ではなかった。
洋風のその家には『家族だんらんレストラン　ふぁみりぃ☆きっちん』と看板がある。
入り口の扉には『本日開店』と貼り紙。

「そういえば昼飯はまだだったな。生協の食事も飽きたし、たまには変わったところで食ってみるか」
夢人はつぶやきながら、まだ珍しかった自動ドアをくぐる。
とたんに甲高い声が入り口に響いた。
「いらっしゃいませぇっ！ふぁみりぃ☆きっちんへようこそ！」
「な、なんだ！？」
白とオレンジのチェック柄ブラウスに、真っ赤なミニスカート。そして純白のエプロン。
この時代には目新しい制服に身を包んだウェイトレスが、満面の笑顔で出迎えてくれたのだ。
夢人は度肝を抜かれた。レストランでこんな経験をするなんて初めてだ。
「お客様、１名様ですね。こちらのお席へどうぞ」
よく見ればウェイトレスのスカートもすごく短い。ひざ上１０ｃｍってところか。
「なんだかとんでもない店へ来てしまったみたいだな…」
もう昼飯時は過ぎていたが、それでもテーブルはほぼ埋まっていた。さすが開店当日だけある。

ブツブツとつぶやきながら席へと案内される夢人。そのとき、ふと近くにいた別のウェイトレスに目が移る。
…あれは、マサミじゃないか！？
「し、失礼、あなたは…！」
「はい…えっ！？」
声をかけられたウェイトレスが振り向く。
「お、おにい！？」
やっぱりマサミだ。でも、どうしてここに？
そのとき、ほかの客の呼ぶ声がした。
「すいませーん、こちらの注文お願い」
「はーい、ただいま」
とっさにマサミはそちらへ向かう。夢人が口をはさむ余地もない。

すぐにさっきのウェイトレスが注文をとりにきた。夢人はエビフライランチを注文する。
すると、料理を待つ間に、マサミがすすっと夢人の席にやってきた。
「お兄ちゃん、ごめんね。仕事中だから簡単に話すよ」
マサミは小声で耳打ちする。
「ボクね、昨日、ここの店長さんからアルバイトの勧誘受けてね、さっそく今日から働くことになったんだ」
なるほど、昨日の勧誘がそうだったのか。
「でも、どうして秘密にしてたんだ？」
「いつかバレるとは思ってたけど、しばらく秘密にしておいてお兄ちゃんを驚かせようと思ってたんだ。でもこうもあっさりバレるとはね」
「なんだってウェイトレスなんかになろうとしたんだ？」
「ここなら槙原さんや玲美も来るかもしれないでしょう？何か進展が期待できるもの」
「なるほど。うまいなマサミ」
夢人の顔がほころんだ。
「それに、その制服も似合ってるぞ」
快活さと、はかなげな雰囲気とをあわせもったマサミにはぴったりの服かもしれない。
でもマサミは不満そうな表情だ。
「そう？平凡だよこんなの。２００１年にはもっとかわいい制服のファミレスもいっぱいあるんだから」
「ファミレスぅ？なんだそれは」
夢人がまた怪訝な顔をした。
「ごめん、未来の言葉使っちゃった。とにかく、こういうレストランは将来もっと流行るんだよ」
苦笑いするマサミ。

「すみませーん、コーヒーおかわりお願いします」
「あっ、はーい」
近くのテーブルから注文だ。マサミは甲高い営業ボイスになる。
ミスコンや看護婦の経験のおかげで、営業スマイルやボイスは大の得意なのだ。
「じゃあお兄ちゃん、仕事に戻るね」

「なに？コーヒーおかわりだと？」
取り残された夢人は不思議に思いながら、テーブルに敷かれていたシートを見た。
『コーヒーのおかわりは御自由にどうぞ』
『本店は午前０時まで営業しております』
『お席に余裕がありますときは、閉店までごゆっくりどうぞ』
そこには夢人がびっくり仰天するような言葉が記されていたのである。
午前０時どころか、そのうちファミレスが２４時間営業になる未来も知らずに。
「すごいな、おい！よし！わたしはこれからふぁみりぃ☆きっちんをひいきにするぞ！」
夢人が感動しながら奮い立ったところに、注文したエビフライランチがやってきた。

ランチを平らげた夢人が席を立とうとしたとき、入り口の自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませぇっ！ふぁみりぃ☆きっちんへようこそ！」
ウェイトレスの声にも動じず、数人の若い男が入店してくる。
その真ん中にいるのは、なんと新藤雄作。彼もこの店に興味を持ったようだ。

「よっ、葵じゃないか」
「おう、新藤。わたしはもう食ったから失礼するぞ」
そう言いながら立ち去ろうとする夢人の横で、新藤がささやいた。
「葵、おまえも賭けに参加しないか？槙原の女装にな」
「なに？どういうことだ？もっと話を聞かせろ」
夢人はあわてて、もといた席に座りなおす。同じテーブルの横に新藤が座った。

「実はな、私たちは槙原が大学祭の喫茶店で女装ウェイトレスをするかどうかに金を賭けているんだ。
あっ、これは槙原にはナイショだぞ。
もちろん私は女装しないほうに、５万円ほどだがな」
「新藤、おまえは他人の悩みで金を賭けているのか？槙原に失礼だとは思わないのか！？」
憤りで顔を真っ赤にしながら、夢人は新藤の鼻先まで詰め寄った。
「…私にも賭けさせろ！あいつが女装するほうに１０万円だ！」
意外な展開に脱力する新藤。
「落ち着けよ、葵。まずはオッズだ。女装しないほうが１．３倍、するほうが５倍」
「オッズなんて関係ない！私の面子と妹の未来のために、槙原には入江さんと仲直りしてもらわないと困る。
だから私はあいつの女装に賭けるのだ！」
「でもな、槙原の女装の可能性はオッズ以上に厳しいと思うぞ」
「私が槙原を説得してみせる！おまえらの望むようにはさせん！」
「無理だよ。あいつは折れやしないさ。ましておまえとは絶交中。
入江さんとも仲直りしてないだろ。もう終わってるよ。
女装しないほうが、賭けとしてはずっと安全さ」
「私とマサミがなんとかする！負けるのはおまえのほうだぞ！」
「はははは、えらい自信だな。なら私も賭け金を１０万に増やしてやろう。女装するほうのオッズが上がるから、おまえには得かもな」
「私はおまえに恩を受ける覚えはない！」

そこへ、マサミが注文をとりにきた。しかし、さっきとは比べ物にならないくらい肩がコチコチだ。
「ふぁ…ふぁみりぃ☆きっちんへようこそ。ご注文はなんになさいますか？」
ただでさえ場慣れしてない初日な上に、あの新藤を前にすると緊張と動揺は隠せない。
「おっ！マサミちゃんじゃないか、病院やめたと思ったらここで働いてるんだ？」
新藤がなれなれしそうに、マサミの背中に手をまわしてきた。
「ひゃっ！…ご、ご注文はなんになさいますか？」
マサミは必死に、マニュアル通りのセリフを繰り返す。
「ごめんなマサミちゃん。槙原の彼女をとったりはしないさ、安心しな」
「ボ、ボクは彼女じゃ…ご注文はなんになさいますか？」
「マサミちゃんは、槙原が大学祭で女装ウェイトレスをすると思うかい？」
思わず絶句するマサミ。挑発に乗るなという目で、夢人が見つめる。
「…ご注文はなんになさいますか？」
「だったら…このハンバーグステーキもらおうか、ライスつきで」
マサミが精一杯の営業スマイルで堪えると、新藤もからかうのをやめた。

「あ…ありがとうございました！この次も、ふぁみりぃ☆きっちんをよろしく！」
冷汗をたらしながら新藤たちを見送ったマサミは、夢人に小声をかける。
「…びっくりしたよ。そんな賭けまでやってたなんて。
だったらますます槙原さんを説得しなくちゃ」
「ああ当然だ。あいつもきっとこの店に来る。来ないなら私が誘ってみせる。あとはマサミにまかせるぞ」
「わかった。きっと説得する！」
そのとき、ふたりはまわりから強い視線を感じた。私語が大きくなりすぎたのだ。
「あ…失礼しましたぁ！」
マサミはとっさに営業スマイルをふりまいた。

「お兄ちゃん、伝票！」
席を立った夢人をマサミが呼び止める。
伝票には新藤と仲間たち全員の注文が含まれていた。
「…くそっ！私におごらせやがって！」
マサミたちウェイトレスの営業ボイスが、夢人の耳に空しく響く。



▲　２８　それぞれの決意　▼

次の日、火曜日のマサミは夜シフトの勤務だった。
昼間はまた夢人が食事に来ていたらしいが、それはマサミの知るところではなかった。

開店２日目ともなると、夜９時過ぎには数名の客しかいない。店内がとても広く感じられる。
１９７５年には、まだまだ夜型のライフスタイルは浸透してないんだろう。
そんなことを考えながらマサミがレジの前に立っていると、不意に自動ドアが開く音がした。
「いらっしゃいませぇっ！ふぁみりぃ☆きっちんへようこそ！」
反射的に甲高い声で頭を下げるマサミ。
しかし、顔を上げてみればびっくり仰天。
「あら、マサミじゃないの。こんなところにいるなんて驚いたわ」
入ってきた客は玲美だったのだ。今日はようやく日勤が明けたらしい。
「お、おひとり様ですか？」
「マサミ、なに他人行儀してるのよ？」
新藤とは別の意味で、玲美と顔を合わせるのは気まずいマサミ。
しかし意外にも、玲美のほうは平然としている。

「ご注文はお決まりでしょうか？」
動揺を隠しながら、マサミはマニュアル通りに応対する。
「そうねえ…チキンピラフとサラダをもらおうかしら。
それよりマサミ、話があるんだけど」
マサミは一瞬戸惑った。でもどうせ暇なんだから、客と私語を交わしても別にいいだろう。
奥にいる店長だって手持ちぶさたな様子だ。
「…いいよ、玲美。小声だったらね」

「実はね、葵さんが昨日病院まで謝りにきたのよ。遊園地でのことでね」
「えっ、お兄ちゃんが？」
マサミは聞いていなかった。夢人もやっぱり、恥ずかしいことは隠すのか。
「わたし、そのときは冷たいこと言っちゃったけどね」
「そんな…お願い、お兄ちゃんを許してあげてよ」
玲美と夢人との関係が悪いままでは、なにかと都合が悪い。
「わかってるわよ。わたし、葵さんは悪いことのできる人じゃないって知ってるんだから」
ほっと胸をなでおろすマサミ。
「葵さん、なにかわけがあったんでしょう。なんだか芝居がかっていたし」
「そ、そうそう。きっとそうだよ」

「ところでね、マサミ…。あれから落ち着いて考えたの。
決めたわ、わたし、あなたのライバルになるわ」
唐突に玲美の態度が変わった。
「それってどういう？」
「マサミとわたしは親友。だけど祥司さんは渡せない。
そもそもわたし、からかい半分で、大学祭で女装してみたらって言っただけなのよ」
話は祥司と玲美とのケンカの件に移っていた。
「それなのに、あんなにこじれるなんて思いもしなかったわ」
「………」
「だけど今思えば、わたしにも慢心があったわ。わたしの言うことに、あの人が傷つくはずがないって思い込んでた。
マサミ、あなたのおかげで、わたし目が覚めたのよ」
玲美の視線がマサミの目の奥を貫き通す。
「マサミは悪い人じゃないはずだわ。あんなに患者さんに親身にできるんだもの。葵さんだって。
悪いのは、祥司さんがマサミに夢中になることよ。
だから…、わたしが祥司さんを取り戻します！覚悟してね、マサミ」

言われたマサミは複雑な心境だった。
玲美のほうから祥司との関係修復に動いてくれる。本来の未来を守るためには、とてもうれしい展開だ。
だが心の片隅には、そうは割り切れない感情も生まれていた。
とにかく祥司をとられたくないという、恋に生きる女性としての心。
それが、すっかり膨らんだ胸の奥に確実に芽生えていたのだ…。

「ふぁみりぃ☆きっちんへようこそ…槙原さん！？」
玲美が出ていって間もなく、今度は祥司が入店してきた。
「マサミちゃん、葵から聞いたよ！昨日は来られなくてごめんね！ほんと、制服すっごく似合ってるよ！！」
「ありがとう…お、おひとり様ですね…こちらのお席へ…」

「もうお兄ちゃんと仲直りしたんですか？」
「ああ。葵のやつ、私にマサミちゃんをとられそうなんで妬いていたらしい。
あいつってシスコンだったのか」
「そ、そうかもしれませんね…じゃあ、ご注文を…」
２００１年の夢人を思うと、シスコンは案外本当かもしれない。
ともかく、マサミの懸案がまたひとつ解消した。

コーヒーとケーキを注文した祥司は、カバンからノートと分厚い専門書を取り出した。
「マサミちゃん、今日はここで自習させてくれないかなあ。成績が悪くて厳しいんだよ」
「厳しいって、医師国家試験に通らないとか？」
「まさか、そこまでじゃないよ。だけどこのままだと、第一講座にいけそうにないんだ」
以前新藤からも聞いた話だ。
「ねえ槙原さん、第一講座ってなんですか？」
「産婦人科の第一講座は、体外での人工授精技術の研究が専門なんだ。よくニュースで、試験管ベビーとかいうだろ？」
「は、はい」
体外授精なんて、２１世紀の雅巳にとっては当たり前の言葉だ。むしろ“試験管ベビー”という言葉のほうが死語になっている。
「そっか、マサミちゃんもわかるんだね。
だけど、あの技術はもうほとんど確立されててね。時間の問題で人間の試験管ベビー第一号が誕生すると思うよ。
そこでだね、私はあの講座でさらに進んだことをやりたいんだ。そう、男女産み分け技術に興味があるんだよ」
「そうですね、男女産み分けならまだまだ研究の余地がありますよね…」
「男か女かを受精卵の時点で確実に判断してから人工授精したいんだよなあ」
自分の夢を語る祥司の目は輝いていた。
これがさえない父親と同一人物だとは、マサミにはとても思えなかった。
「でも、同じ講座志望の新藤には成績で負けてる。
１２月の試験で決まるんだけど、このままじゃ…。
そもそも私は外科か形成外科をやりたかったのに、成績が悪いんで産婦人科にまわされたんだ」
祥司は脳移植か性再判定手術でもやりたかったのだろうか。
「まあ、親が産婦人科だからいいんだけどね。でもせめて第一講座には…。
あっ、こんな愚痴をたれてる場合じゃない。勉強勉強」
ケーキではなく専門書に手をつける祥司を、マサミは黙って見守るしかなかった。

そうこうしているうちに、閉店の午前０時。
「マサミちゃん、おかげで勉強はかどったよ。また明日も来るね！」
何が“おかげで”なのかよくわからなかったけれど、マサミも悪い気分ではなかった。
「よかったら、これからも来てね、槙原さん。
ありがとうございました、ふぁみりぃ☆きっちんをよろしく！」
マサミは営業以上のスマイルで祥司を見送った。



▲　２９　“自宅”にて　▼

１９日、水曜日。
この日のマサミは早番で、夕方前に仕事が終わった。
私服に着替えて退勤しようとしたところに、タイミングよく祥司が現われる。
「あっ、マサミちゃん。今日はもう帰るの？
だったら予定変更だ。いっしょに私の家に来ないかい？」

どうしよう。祥司の家に連れていかれたら、最悪の場合何をされるかわからない。
マサミの精神だって、また変化してしまうかもしれないのだ。
でも、祥司との心の距離を近づけるためには千載一遇のチャンスだ。
たとえリスクがあっても、ここで誘いに乗らないわけにはいかない。
それに、確か建て替えられたばかりだったはずの自宅に行ってみたいという好奇心もあった。
「…いいですよ、行きましょう」

テレホンカード差し込み口などない、ダイヤル式の青い公衆電話。
マサミが夢人に事情を告げると、受話器は激励の声で震えていた。

電車に１０分ほど揺られると、槙原家の最寄り駅だ。
駅前商店街の店の並びは２６年後とあまり変わってないが、どの店も客がいっぱいで活気にあふれている。大学前の商店街と同じように。
その商店街を抜けると、「槙原産婦人科病院」の真新しい看板が見えてきた。
３ヶ月前に建て替えられて、医院から病院に格上げされたのだ。

２６年後には亡き雅巳の祖父母にあいさつをして、マサミは祥司の部屋へと上がっていった。まだ木のにおいが残るこの部屋は、のちに敬寛のものとなる。
マサミに見守られながら１時間ほど自習をしていた祥司だが、次第に飽きはじめたように見えた。
「ねえ、祥司さん。ちょっと休んでお話しましょうよ」
「それはいいね。なんの話にしようか？」
マサミの見計らいどおり、祥司ものってきた。
「もうすぐ大学祭ですよね」
「ああ。マサミちゃんも来るんなら案内するよ」
「ありがとう。そうそう、医学部の人たちで喫茶店やるんですよね？」
一瞬、祥司の顔がひきつったのをマサミは見逃さなかった。
「ああ…だれから聞いたんだ？」
「お兄ちゃんから」
「葵からか…」
ふたりの間に、妙な沈黙が広がる。
今こそ言おう！マサミは大きく息を吸い込んだ。
「………たしか喫茶店って、女装する人もいるんですよね？」
とたんに祥司は焦り出した。
「そ、その話はやめよう！そうだ、法学部主催の講演会があるんだ、行こうよ」
「祥司さんも、女装するって聞きましたよ」
「だからやめようって言ってるだろう！」
「ボク、祥司さんの女装見てみたいなあ…」
必殺のうるうる目が祥司を見つめる。
「いやだ！いくらマサミちゃんの頼みでも、それだけは…」
「どうして？そんなにいやなんですか？」
「当たり前だよ！」
「殻を破りましょうよ！服装に男も女も関係ないでしょう？」
「違うよ！男が女の恰好をするなんて、恥ずかしいじゃないか！」
激しく赤面する祥司。おそらく玲美相手にもこうやって拒否したのだろう。

祥司の考えももっともだ。
顔も体つきもはっきり言って典型的な男性で、お世辞にも女装が似合いそうには思えない祥司。女装してもウケねらいにしかならないだろう。
２００１年ならば、学園祭でのウケをねらった女装は恥のかきすてとして当たり前になっている。けれども１９７５年には、まだまだそう割り切れる人は少なかったのだ。

「…それに、今更遅いよ…」
祥司はつぶやくように付け加えた。
「遅いって、何がですか？」
「ああっ、こっちのことだ！ごめん、なんでもない」
また、ふたりの間に沈黙が訪れる。

マサミは確信した。
祥司は、今更女装しても玲美は許してくれないだろうと言いたいのだと。
裏を返せば、祥司のほうもまだ玲美に未練があるのだと。

『まだ遅くないですよ』。
マサミはそう答えればよかったのかもしれない。
しかし、その言葉は出なかった。
遊園地のときと同じように、自分自身が、目の前にいる祥司を意識しはじめてきたからだ。



▲　３０　未来からの奇跡　▼

「祥司さん………いい？」
剛の顔を見ていたときと同じ感覚が、再びマサミを襲ってきた。抗うすべはない。
祥司もまんざらではない様子だ。
「ん…マサミちゃん…」
ゆっくりと、マサミの胴体へと腕をまわす祥司。
マサミは本能に身を任せていった。
じゅうたんに転がるふたり。
何度も繰り返される口づけ。そして抱擁。
まるで剛を相手にしているかのような快感だ。

それだけではなかった。マサミは、自分の肉体にとどめの変化が訪れたことを感じた！
辛うじて男のモノだった突起が、するすると縮こまる感覚が伝わってくる。小指の先ほどに小さくなって、割れ目の中に隠れていったのだ。
下腹には膨満感が増し、卵巣と子宮ができあがったことを告げている。
胸の乳首はツンと上に立ち、乳房は揉まずにはいられないほどに疼きはじめた。
今や完全に女性になったマサミの体には、剛相手では体験したことのない、はじめての快感が走り抜けているのだ。

祥司がマサミの胸を揉みしだく。
「あああっ、祥司さんっ、いいよ、いいよっ」
マサミの声が高くなる。
股間の奥のほうも、じんわりと湿り気と熱さを帯びてきた。
「そろそろだね…」
祥司がにっこり笑いながら、マサミのショーツをずりおろす。
できたての割れ目の上を祥司の指がゆっくりと伝う。
自分の愛液に塗れたその指を、うっとりしながら見つめるマサミ。
「これが、ボクの祥司さんへの気持ちなんだね…」
「さあ、これからいっしょになるんだよ…」
あおむけのマサミに祥司が重なろうとする。
ああ、女性になったばかりのマサミの純潔は、実の父に奪われてしまうのか？

「！？…！！…つっ！…！？」
そのとき、マサミに異変が起こった。
唐突に、剛の顔が脳裏に浮かんだのである。
ふっと我に返るマサミ。顔色の変化に気づいて、祥司の愛撫も止まった。
「あれっ…どうかしたの？」
「ごめんなさい…これ以上は…」
「…しょうがないか…今日は突然だったもんな」
「本当に、本当にごめんなさい…」

服装を整えながら、マサミは想いをめぐらせた。
今のはなんだったんだろう。もしかしたら、剛が助けてくれたのか？
考えているうちに、剛に怒った自分への後悔の念がこみあげてきた。

剛は声変わりも体の男性化もすべて承知で、ボクとの関係を表にしたかったはず…。
なのに、ボクのほうが男の体と女装卒業にこだわっていたのでは？
ミスの予選のステージでも、ついさっきの槙原さん相手でも、「男子とか女子とか関係ない」とか言ってたくせに…。
女装にこだわってケンカするなんて、槙原さんや玲美と同じじゃないか。
槙原さんを説得するなら、ふたりの仲直りを望むのなら、まず自分の心のわだかまりを消すのが先だよ！

そう悟ったマサミは、なぜか心の底から力が湧いてくるのを感じた。

「それじゃ、今日はお世話になりました」
帰り支度をして槙原家の玄関に立つマサミ。
「もう遅いし、駅まで送ろうか？」
「いいえ、大丈夫ですよ。ところで…」
マサミは、じっと祥司に目を合わせた。いい言葉が思い浮かんだのだ。
「…どうしたんだい？」
「さっきの女装の話なんですけど…。
どんな恰好をしていたって、好きな人はきっと認めてくれますよ」
「えっ、ほ、本当かい？」
まるでつきものが落ちたかのように、祥司の表情がガラリと変わった。
「だから、女装を怖がらないでよ。わかる？」
「わかったよ、マサミちゃん！それじゃあ、またレストランでね！」
やった！とうとう祥司の説得に成功した！祥司が“好きな人”をだれと受け取ったかはともかくとして。

別段今までと変わらないような言葉。
しかし、マサミの心構え、そして目の色は全然違っていた。
だからこそ、さっきよりもはるかに説得力をもって祥司の心に響いたのだ。
それというのも、剛が心の力を与えてくれたおかげだろう。

帰りの電車の中で、マサミの後悔は決意へと変わっていった。
体が男っぽくなっても、声が低くなっても、自分は女装を続けていきたい。
女装卒業宣言は撤回しよう。
そして、２００１年に帰ったら、真っ先にそれを剛に伝えるんだ！

完全に女の体になってしまったことも、怖くは感じなかった。祥司と玲美の仲がもとに戻る目処が立ったのだから。



▲　３１　最後の懸案　▼

それからの毎日、マサミは寸暇を惜しんで祥司の家に通った。
女性のメイクやしぐさについてアドバイスをするためだ。
どうせ付け焼き刃にしかならないけれど、何もしないよりはましだろう。
祥司も変なことはせず、素直にマサミのアドバイスに従っていた。

大学祭前日の２３日、勤労感謝の日。マサミは午後から仕事だけど。
現代ならばこの日も大学祭をやるのだろうが、当時の大学祭というのはそこまで大規模ではなかったのだ。

「よし、折り畳み式自走小型クレーンが完成したぞ！待たせたな、マサミ」
アパートの片隅でガッツポーズをとる夢人。
ふたりの目の前には、スライド式のアームとキャタピラが付いたクレーンがあった。
「やったね、お兄ちゃん！ありがとう！」
「…でも、マサミにそう呼ばれるのもあと少しなのだな」
喜ぶマサミと対照的に、夢人の表情がふっと淋しげになる。
「うん…」

明日、祥司は大学祭で女装する。
マサミはあれから玲美には逢えずじまいだけど、きっと喫茶店では逢えるはず。
女装している祥司を目にすれば、ふたりはきっとよりを戻し、マサミの肉体も男に戻るはずだ。
おまけに、夢人も賭けに勝つ。

しかし、最後の懸案が残されていた。

「ねえ、お兄ちゃんはナイフって怖い？」
そう、２００１年に帰ってみれば５０歳の夢人は刺し殺されているのだ。
なんとか彼の運命を変えたいというのが、マサミの切実な願いだった。
「怖いものか。ナイフが怖くて電動金ノコギリや溶接機が使えるか？」
なんと、そんな物を普通のアパートで使っているのである。安全対策をしているとはいえ。
「思うんだけど、お兄ちゃんは工学部のほうがよかったんじゃないの？」
「いや、私はあくまで理論がやりたいのだ。工作は理論を実践するための道具づくりなのだよ！」
「でも現代実験物理は理論家が個人レベルでやるもんじゃないよ。工作なんて無駄だよ。
直径何キロもあるような大型粒子加速器なんかが必要でしょう？」
「ああわかってるさ。だがな、それでも私は工作は理論に役立つと思いたいのだよ」
こういう姿勢が夢人らしさなのかもしれない。だからタイムマシンを発明できるのだろう。
「…それはともかくマサミ、ナイフがどうかしたのか？」
「あのね…、ボクはこの時代に来る前に見てるんだ。お兄ちゃんの運命を…」
「黙ってくれ！私は占いとか大予言とかは嫌いだと言ったろう！」
運命と聞くや、夢人の声が１オクターブ跳ね上がった。目を血走らせながらマサミの言葉を遮ろうとする。
「占いじゃないよ。ボクが実際に見たんだよ」
「同じようなものだ！私は自分の運命なんて極力知りたくないんだ！
それに、どんなことが第三法則レベルの干渉になるかわからないんだからな！
私はタイムパラドックスに巻き込まれるのはまっぴらだ！」
「お、お兄ちゃん…！お兄ちゃんはナイフで…」
「もう時間だろう！早く仕事へ行け！さあ！」
マサミは追いたてられるように、アパートを飛び出した。

この日、知り合いはだれも来店しなかった。
マサミ目当てで来た、常連客の若者グループとの会話は楽しかったけれど。
退勤しようとすると、通用口の前に玲美が現われた。
人が走り去る気配があったが、マサミは気づかなかった。
「マサミ」
「れ、玲美？久しぶり」
「…祥司さん、明日女装するってね？」
「あっ…、それ、言おうと思ってた」
「別にいいのよ」
玲美は落ち着いた顔つきでマサミを見つめている。
「マサミ…すごいわね。根気強く祥司さんにアドバイスしてるのね。
この間は、資格も持ってないあなたに看護婦の心構えを教えられて、今度は祥司さんか…」
「そ、そんなもんじゃ…」
「でも、わたしだって負けないわよ。
わたしね、思い出したの。今年の春、祥司さんとはじめて出会ったときのことを。
明日は初心に返って、きっと祥司さんを振り向かせてみせるわ」
「ボ…ボクだって負けないよ」
「それでこそマサミよね！じゃ、喫茶店がんばってね」

どうやら、玲美はすっかり祥司に心が戻ったようだ。
マサミは胸をなでおろしながら、明日のことをあれこれ思案するのだった。



▲　３２　正念場

１１月２４日、振替休日。
昼谷大学の大学祭。そして、マサミが２００１年に帰る予定の日だ。
当然、マサミは休みをとってある。

「思ったより淋しいね。模擬店のテントがまるでないなんて」
「模擬店？室内の喫茶店ならほかにもあるけどな」
「ボクの知ってる大学祭は、食べ物の模擬店が屋外にぎっしり並んで、まるで縁日みたいだよ。この大学だってそうなるんだ」
マサミと夢人はキャンパス内を歩きまわりながら、１９７５年ならではの大学祭の空気を味わっている。
学科の研究発表や、学内学外の先生を呼んでのシンポジウム。
あちこちに掲げられた政治スローガンの立て看板。
学内の政治団体主催の講演会。
当時の大学祭は２００１年のよりずっとアカデミックで、学生運動の余波も残っていたのだ。
医学部と付属看護学校の有志が主催する喫茶店も、医学部の小講義室を使った落ち着いた雰囲気のものであり、ウケねらいの女装喫茶ではない。

小講義室の隣の準備室に戻ってみると、すでに祥司が着替えを済ませていた。
着ているのは、マサミがふぁみりぃ☆きっちんから借りてきたウェイトレスの制服。いちばん大きいサイズがなんとか着られたのである。
なお、マサミが着ているのはこの時代に来たときのメイド服。
「喫茶店には少々刺激が強すぎないか？」
「お兄ちゃん、２００１年にはこれが流行るはずだよ」

「マサミちゃん、仕上げのメイク頼むよ」
振り向いた祥司の姿は、はっきり言って変だった。
男顔に被せられた金髪パーマのウィッグ。
青々とした剃り跡がまぶしい口まわり。
胸板の上にパッドを入れたのがバレバレの乳房。
そして、剃ってないすね毛。
まわりにいる医学部の同級生たちも、夢人も、みんな引いている。
しかし、祥司が決して嫌そうな顔をしてはいないのが救いだった。

「そうだ、今日は玲美も遊びに来ますよ」
マサミが言っても、祥司は何も答えなかった。しかし、握られた祥司の手には力がこもったように見えた。

慣れた手つきで祥司にメイクをほどこし、ウィッグのずれを整えるマサミ。
「はい槙原さん、できあがりましたよ」
そう言いながら、手鏡を祥司の目の前に出す。
「これが…私なのか…」
すっかり変貌した自分自身に、お約束のため息をもらす祥司。
「とても似合ってますよ！」
「ううん、お世辞はいいよ、マサミちゃん」
しかし、それはマサミの率直な感想だった。
メイクをしたとはいえ、祥司の姿が女性というには違和感がありすぎることに変わりはない。
だがメイクをしているうちに、祥司の女装への真剣な態度がマサミには感じとれた。
まじめに女装に取り組もうという雰囲気が、ウェイトレスの制服を彼に似合わせていたのだ。
夢人たちの祥司を見る目も、さっきよりはだいぶおだやかになっている。

やっぱり祥司を説得してよかった！これなら喫茶店も盛り上がる！
マサミはそう確信した。

そのとき、準備室の扉が勢いよく開いた。
「おい槙原、まさか本気で女装なんてやっちゃ…うわああっ！？」
駆け込んできたのは、あの新藤だ。そして、一瞬で凍りついた。
「はははははっ！私の勝ちだな。配当は６．５倍だったはず、６５万円もらおうか！」
「…くそっ！明日銀行が開いたら払ってやるさ！それより、あとで驚くなよ！」
勝ち誇った夢人の声を背に、新藤は騒々しく準備室を出ていった。
「えっ？きみたちは私の女装で賭けていたのか？」
「心配するな槙原、配当金はおまえと半々にしてやるからな！」
「…それなら構わないさ」
夢人は祥司へのフォローも忘れない。

「いらっしゃいませぇっ！医学部喫茶へようこそっ！」
活気のよい店員の声が、純喫茶風に装飾された小講義室に響く。
ふぁみりぃ☆きっちん風のあいさつは、マサミの提案だ。
そのおかげか、テーブルが常に埋まる繁盛ぶりになっている。
マサミは純女のウェイトレスとしても活躍した。
メイド服で客引きをやると、若い男が面白いように入店してくれるのだ。
「へええ…、この時代でもこの服、結構いけるんだなあ」

「おっ！マサミちゃん、がんばってるね！」
「…えっ！あ、いつもお世話になってます！いらっしゃいませぇっ！」
昨日も会ったふぁみりぃ☆きっちんの常連客グループが、どこで話を聞いたのか、マサミに会いにここまで足を運んでくれたのだ。
マサミはあちらではすっかり有名ウェイトレスになっていたらしい。
今日でお別れなのが後ろ暗いが。

医学部や看護学校の女子学生にまざって、女装ウェイトレスの祥司もてきぱきと働いている。
「あれまあ？男のウェイトレスさんだよ。おもしろ〜い」
祥司は客から好奇心や笑いのタネにはされても、後ろ指をさされたりはしなかった。
店の雰囲気が落ち着いていたからでもあろうが、それだけ祥司の態度が真摯なのだろう。
「槙原さん、医者よりふぁみりぃ☆きっちんに就職したら？ボクから店長に紹介してあげるよ！」
「ははは、それはさすがに遠慮するよ」
男のようでも女のようでもある、不思議な笑顔をふりまく祥司。

そして、とうとう玲美が店にやってきた。手には大きな紙袋をぶらさげている。
「みんな、おつかれさまね」
「こんにちは、入江さん」
彼女は看護学校のＯＧとして、店員たちとあいさつを交わす。
「あっ、祥司さん？」
「れ…玲美…」
玲美は、女装している祥司にゆっくりと近づく。
祥司のほうは二の句がつげない様子だ。まともな会話がしばらくなかったのだから。
「どういうことなの？祥司さん」
「玲美…君の、言ったとおりに…したんだけど…」
「あっ…この間のこと、本当にやってくれたのね！？」
「もう、遅くはないのかい…？」
玲美の目がぱっと輝いた。
「遅すぎるなんてとんでもない！うれしいわ！」
「こちらこそ…わがまま言ってごめんな、玲美」
「祥司さんっ！！」
ふぁみりぃ☆きっちんの白いエプロンへと飛びこむ玲美。
「マサミちゃん…ありがとう。玲美と私を仲直りさせてくれて」
祥司は玲美を抱きしめながら言った。

「おお…とうとう…」
半開きの扉から教室を覗きながら、準備室の夢人が感涙している。
これで、マサミの体ももとの男性に戻るはず。

ところが、事態はとんでもない方向へと進展する。
なんとマサミが、抱き合うふたりに割り込んでいったのだ！
「玲美！祥司さんは渡さない！」
「えっ？」
「祥司さんはボクのものだ！」
マサミの雰囲気が、さっきまでとはがらりと変わっている。
まるでなにかに操られているような焦りの表情だ。

「いかん！時の浄化作用が働いているのか？
そうだ、マサミと槙原が結婚する未来を守ろうとする作用が、マサミの精神を変えているに違いない！
なんてことだ！こちらの作用を見落とすとは、大不覚だ！」
マサミを正気に戻すため、飛び出そうとする夢人。
しかし、客が多くてとても無理だ。

「ねえ祥司さん、ボクを選んでよ！」
マサミは体をくねらせながら祥司の気を引く。
「マサミちゃん、私でいいのかい？」
「はっきりしてよ祥司さん！わたしよりマサミのほうがいいわけ？」
玲美はふっと祥司から身を離す。
また、祥司と玲美の仲の雲行きが怪しくなるのか？
目を覆う夢人。

そのとき、玲美は自分の紙袋からなにかを取り出したのだ。
「ねえ祥司さん、これがなんだかわかる？」
彼女が取り出したものは、一着の洋服。そう、男性用のモーニングだった。
「ああっ！？」
驚く祥司。なぜならそれは自分のものだからだ。
「女装もいいけど…やっぱりあなたにはこっちの服のほうが似合っているわ。
あのときは変なこと言っちゃってごめんなさい」

玲美は感慨深げに話しはじめる。
「半年前のこと、覚えているわよね…？
祥司さん、わたしとの初めてのデートのために、わざわざ貯金をはたいてまで買ってきた服ですもの」
「………」
マサミも夢人も、そしてほかのウェイトレスや客までも、固唾を呑んで玲美の話に耳を傾ける。
「わたし、最初は笑っちゃったわ。この人、なんでこんなもったいぶった服で来るのかって。
だけど、事情を聞いてすごくうれしく思ったの。これが祥司さんのわたしへの真剣な誠意の表わし方だってわかったから」
それで、ふたりは交際を続けることになったのだ。
「これね、さっき祥司さんの家に行って、ご両親から借りてきたのよ」
玲美は堂々と、祥司の目の前へと進み出る。
「もう、冗談だったのに、本当に女装しちゃうなんて…。
けれど、いいえ、だからわたしは、何事にも真剣に取り組む祥司さんが大好きなんです」
「玲美、私も…君が好きだ。ありがとう、喜んで着るよ」
ふたりの告白の交換に、満員の客席から拍手が起こった。
「マサミちゃん、悪いけど着替えるね。この服どうもありがとう」
そう言われたマサミの表情は、もう落ち着いていた。
「祥司さん、よかったね…。思い出をありがとう。
玲美…ボクの負けだよ。祥司さんと幸せにね」
マサミは静かに、ふたりから離れていった。
玲美が勝った相手はマサミだけではない。時の浄化作用にも勝ったのだ。

準備室でモーニングに着替え、店に再登場した祥司は、さっきとはうって変わって爽やかな好青年になっていた。
晴れやかにリラックスした表情は、女装ウェイトレスのときにはなかったものだった。

そうか、槙原さん、ボクのために無理をしてまで女装してくれてたのか…。
それに、やっぱり玲美のほうが槙原さんのことをわかってる…。

マサミは、祥司の優しさと玲美の意志の強さに深い感銘を覚えるのだった。

「ねえ槙原さん、そろそろ休憩しない？
せっかくだから、玲美とふたりで大学祭を見てまわってくればいいよ。
そうだ…文学部講堂でドキュメンタリー映画の上映会があるよ」
マサミは気を利かせて、祥司と玲美をふたりきりにすることにした。
そして、史実を再現させるために。
「それいいわね。マサミ、ありがとう」
「うん、行こうよ玲美」
手に手をとって、未来の夫婦は喫茶店を後にした。

「祥司さんの女装、あれはなかったことにしときましょうね」
「ああ。将来の私たちの子供から訊かれたとしてもナイショだな」
「それと、ふぁみりぃ☆きっちんの外でわたしを待っていたでしょう？それも二度も」
「えっ？気づいてたのかい」
「ほんと、祥司さんってシャイなんだから、うふふっ」

さあ、あとは２００１年に帰るだけになったマサミ。だがしかし、まだまだ関門が…！？

ＴＯ　ＢＥ　ＣＯＮＴＩＮＵＥＤ
（感想用掲示板はこちら）
（解説はこちら）
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