三大噺　お題：せっけん／風呂／セーター
作：こうけい


（ふう……、給料日まであと１０日、どうやりくりしよう……）
一家の財布を預かる主婦の井上由美は、
居間のテーブルで家計簿をにらみながら、ひとりため息をついていた。
（この＜セーター＞さえ買わなかったら……。でも……）
彼女が着ているセーターは、今日、デパートで見つけたものだ。
柄と色合いがあまりに気に入ってしまったので、
家計が厳しいこともつい忘れて、衝動買いしてしまったのである。
勤めから帰ってきた夫の伸介も、似合うとほめてくれたが、
由美が値段を話すと、とたんに渋い顔。口もきいてくれなくなった。
（返品しに行こうか……。でも、あれは質もいいから長く着られると思うし、
お父さんも返品しろとまでは言わなかったし……）

「母さん、＜風呂＞まだ？」
２階から、１５歳になるひとり息子の修介の声がした。
「待ってなさい、もうすぐ沸くから」
由美は階段の上に向かってそう叫ぶと、立ち上がって風呂場へ向かった。

由美が風呂場の扉を開けると同時に、電子音がピーピーと鳴った。風呂が沸いたのだ。
「考えてみれば、家族がひとりひとり別々にお風呂に入るのも、ガス代と水道代の無駄よね。
修介が幼稚園のころまでは、３人いっしょに入ってたのに……」
彼女はそうつぶやきながら、浴槽のふたを開ける。
お湯が十分熱くなっていると確認していると、上の棚から何かが転がり落ちてきた。
バシャン！
「あっ、入浴剤が！」
彼女はたいてい、家事を終えてから一家で最後に入浴する。
そのとき入れるのが習慣になっている美肌入浴剤が、浴槽の中に落ちたのだ。
ふたが十分閉まってなかったためか、かなりの量の入浴剤がお湯に溶けてしまった。
「あーあ、もったいない。でも、いまさらお湯を取り替えるのも無駄だから、
修介とお父さんにもこれで入ってもらいましょ」

「母さん、お湯の色、変だよ」
風呂場で修介が不満の声をもらす。
「ごめん、さっき、お母さんの入浴剤こぼしちゃったの。悪いけど、そのまま入ってくれる？」
由美は風呂場の扉のガラス越しに、修介に答える。
「えーっ、あの美肌入浴剤？女じゃあるまいし、こんなのいやだよ」
「たまにはいいでしょ。それに、入浴剤入りのお風呂に入ったって死にやしないわよ。さっさと入って」
「はいはい、わかりました」
ザッパーン！
修介が浴槽に浸かる音が聞こえる。
（あの子、また体をお湯で流すのを忘れてる！）
由美が注意しようとしたときのことだった。

「わ、わ、わ、きゃあああああ！！！」
修介が悲鳴を上げている。それも、声がどんどん高くなっていきながら。
由美はあわてて扉を開けた。
「ど、どうしたの、修介！」
由美の目前では、入浴剤に浸かった修介の体が、みるみる変貌をとげていた。
背丈が縮んで体つきは丸くなり、胸がふくらんで髪は伸びていく。
とっさに由美は修介の手を引いて、浴槽から引き上げる。
自分の息子の裸体は、どこからどう見ても少女のそれと化していた。
「こ、これはいったい……」
由美も修介も二の句がつげない。

「どうした！？修介、母さん、何があったんだ！？」
騒ぎを聞きつけて、伸介が風呂場へ飛びこんできた。
「……誰なんだ、この娘は？由美、どういうことなんだ？」
由美が答えようとする前に、女になった修介が赤面して怒り出した。
「きゃっ、父さん、見ないでよ！」
修介は風呂桶をつかむと、浴槽からお湯をくんで、伸介に思い切りぶちかける。
「父さんって……、もしかしたら、この娘は修介なのか！？」
「……そうなんです、お父さん……し、伸介さん！？」
なんと、浴槽のお湯を浴びた伸介までもが、女性に変化していくではないか！

「女ばかりの家族なら、食費が減って大助かりよ」
「これからは、洋服もみんなで着回ししような」
「母さん、このセーター、俺にもぴったりだよ。父さんの体型も同じだし、合うんじゃないかな」
「まあ、修介からもそう言われるなんて。本当に買ってきてよかったわ」
「風呂も３人まとめて入ろうな。なあに、狭いのは構わないさ、家計が緊急状態なんだから」
「そうそう。これからは＜節倹（せっけん）＞に励みましょうね」
入浴剤入りのお湯を浴びただけで、どうして修介と伸介が女性になったのかはわからない。
だが、３人はこのとんでもない事態を、明るく前向きに受け止めたのだった。

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