（編集部注：『ｉｎａｘの温泉旅コラム』は、筆者ｉｎａｘ氏の行方不明により先月号で連載を中止させていただきました。今月号は、観光旅館「女珀館」の若女将、こうけい氏による『まぼろしの秘湯、ＴＳ温泉郷に奇跡を見た！（真相編）』を掲載します。
なお、ｉｎａｘ氏の行方につきましては、こうけい氏の文章から御察しいただければ幸いです）
女珀館の若女将シリーズ
９００００ＨＩＴ特別編「ｉｎａｘ様の温泉旅コラム……の顛末」
作：こうけい
（20030614 発表）
「２１世紀型旅マガジン ぶるる」読者のみなさま、はじめまして。
「ＴＳ温泉郷 観光旅館 女珀館」若女将のこうけいでございます。
ｉｎａｘ様の先月号のコラムをお読みになられた方にはお気づきでしょうが、わたしは当初、当旅館のホームページに掲載するためのレポート文をしたためておりました。
ところが先日、「ぶるる」編集部様より、ｉｎａｘ様行方不明とのことで、当旅館到着後のｉｎａｘ様の動向につきまして誌面で知らせてほしいとの要望を承りました。誌面掲載用に、筆半ばのレポート文を改作いたしましたものが以下の文でございます。
まずお知らせしておきますが、ｉｎａｘ様は現在このＴＳ温泉郷にお住まいでして、五体満足で心身ともに健在でいらっしゃいます。けれども残念ながら、あと数年間は文章というものを書くことはできないかと思われます。
どういうことかと訝しがられたかたも多いでしょう。それではこれより、ｉｎａｘ様につきましてわたしがこの場でお話しできる範囲のことを、記させていただきます。
若女将こうけいの温泉旅コラム
まぼろしの秘湯、ＴＳ温泉郷に奇跡を見た！（真相編）
（２１世紀型旅ＭＡＧＡＺＩＮＥ「ぶるる」７月号４１−４４ページ）
前編はこちらからどうぞ
その日、当旅館のお客様は、記念すべき通算９万人に達する予定になっておりました。
ところがあいにく、昨日までの大雨で土砂崩れが発生したため、温泉郷までの道路は不通に。予約取り消しの電話が相次ぎ、この日の９万人突破はお預け模様でした。
そう思っていたところに来客の声が響き、たまたまわたし自らが扉を開けましたら、紀行作家のｉｎａｘ様が立っておられました。
「ｉｎａｘ様、ようこそいらっしゃいました」
予約も入れてなく名乗りもしてないのにわたしに名前を言い当てられて、ｉｎａｘ様はさぞ度肝を抜かれたことでしょう。
初対面ではございましたけれど、かねがね噂ではお聞きしておりましたので、わたしは直感的にｉｎａｘ様だと気づいたのでございます。
ｉｎａｘ様の髪や服のあちこちに、露や泥、濡れ落ち葉がついておりました。バスも動いてないというのに、山を越えてここまでたどりついたのでしょうか。手足が妙に細く白かったのが少々気にかかりましたけど、そのときはなにも申さずにおりました。
「もうすぐ９万人目のお客様ですので、本日はご招待いたしますよ」
わたしは若女将としての一存で、そう口にいたしました。
お名前を存じていたかたが、わざわざお泊りにいらしたのですから、せめてもの感謝の気持ちを表したく。
気分だけでも早く９万人突破を祝いたい、という思いもありました。
「えっ、ご招待ですか？」
「お代は結構ですわ。どうぞおあがりくださいませ」
「ところで、写真のひとはどなたなんでしょうか」
ｉｎａｘ様が、帳場の上に掲げられた額を指して尋ねました。
「当旅館の大女将ですわ」
「ああ、あのかたですか。だったら知ってますよ」
大女将。いつも白い着物を愛用されていた、女王のような風格を備えたひと。そして、たまたま投宿したわたしを女性と認めてくれて、この女珀館の若女将に仕立ててくださったひと。
今は事情でＴＳ温泉郷から姿をお隠しになりましたけれど、額からわたしたちを見守ってくださっているのです。
そんな話をしてさしあげながら、ｉｎａｘ様を、お部屋へと案内します。
ｉｎａｘ様は、雑誌で旅行記を連載中とのこと。秘湯を求めての当てのないひとり旅に、わたしも大層興味をひかれました。
このＴＳ温泉郷で出会った奇妙な少女たちの印象なども聞かせていただきました。彼女たちのほとんどは、わたしにも心当たりがあるかたがたのなれの果ての姿。わたしのほうからも彼女たちのエピソードをあれこれと語ってさしあげます。
気がつきますと、ｉｎａｘ様のお部屋でもう小一時間も話しこんでいたではありませんか。あわてて退散いたしました。
のんびりとくつろぎながらお食事を楽しまれたｉｎａｘ様が、温泉に入りたいとおっしゃいます。
「豪華な大浴場もございますけど……こちらの温泉にはＴＳ成分は含まれてないのですわ」
「ＴＳできる温泉もあるんですよね？」
「もちろんございます。温泉紀行作家としてご招待を受けたのでしたら、やっぱりＴＳできる温泉にお入りになりたいでしょう？」
「ええ」
「いかがなＴＳになさいますか？」
「転生したいですね」
ｉｎａｘ様のご回答に、一瞬戸惑いました。
当旅館ではこれまで、ご招待を受けた方々をはじめとして、変身系のＴＳをご希望される方が多いのです。当然、変身ＴＳの成分が含まれた源泉を当旅館専用として所有し、頻繁に使用しております。しかし、転生の源泉は当旅館専用のものがございません。
とはいえ、お客様、それもご招待客のご希望とあらば、お断りすることなどできません。
こんなときのために、旅館組合共有のＴＳ源泉を借りることができるのです。けれども本日は組合のほうも終業ですので、明日の午前中に手続きをしてすぐに入浴、ということになります。
そのような旨をｉｎａｘ様にお伝えしたところ、
「それは残念ですね。だったら、ＴＳは明日のお楽しみということにして、今日は大浴場に入らせてもらいます」
「どうぞごゆっくり。多分ｉｎａｘ様の貸切状態だと思いますわ」
ところが、それから１時間が過ぎてもｉｎａｘ様はお姿を現しません。
大浴場から廊下に、なぜか濡れた足跡が離れの方向へ。
男性の番頭さんに頼んで大浴場内を見てもらうと、脱衣かごにはｉｎａｘ様のお召し物が入っているのに、浴室にはだれもいないというのです。
どうしたことでしょう。紀行作家として探究心旺盛なｉｎａｘ様、まさか浴場から裸で廊下にお出になられたとか！？
しかし、離れにもｉｎａｘ様らしい人影はありません。
外を探してみようかと玄関に出た、そのときでした。
「俺をＴＳさせろ！」
わたしの背後から太い声が響きます。
振り返ると、奇妙な服装をした女性が立っていました。花柄のブラウス。チェックのスカートからはがにまたの脚がのぞき、足にはスニーカー。そして頭は茶髪ロングのカツラがずれて……女装した男性ではありませんか！
「女将、なにぼさっと突っ立ってるんだ！ ここはＴＳ旅館だろう！」
「い、いらっしゃいませ。申し訳ありませんが、当旅館は本日満室でございます」
お引取り願おうと、わたしはとっさに取り繕いました。
「嘘をつけ！ 客室に明かりなんてほとんどないじゃないか！ 今日は道路が不通で宿泊客なんてほとんどいない。これはチャンスとばかり、俺は山を越えてやってきたんだ！ さあＴＳさせろ！」
怒り出した女装男は、いきなり服の下からダイナマイトを取り出したのです！
「ＴＳする浴場まで案内しろ！ 下手な真似をしたら、爆発させるぞ」
思い出しました。正体を隠すために女装で犯行を繰り返していた、連続ひったくり犯です。テレビのニュースで聞いてましたけど、まさか爆弾まで持って、このＴＳ温泉郷まで逃げてくるなんて。
「おまえらも、通報なんてしたらどうなるかわかってるだろうな」
ダイナマイト発火装置のリモコンを手に、ぎろりと帳場の番頭たちをにらみます。
くやしいけれど、ここはＴＳさせるしかないようです。
「はっはっは、ＴＳすればもう足はつくまい。俺は女として自由の身になるのさ、なあ女将、喜んでくれよ」
「はあ、お美しい女性になれることを願ってますけど」
わたしは高笑いする女装男を、ＴＳ変身温泉「妖精温泉」に案内します。女装男の手には、リモコンがしっかりと握られています。
こんなとき、ｉｎａｘ様が現れてくだされば……。
「妖精源泉」を使用した妖精温泉は、離れの建物の、目立たない黒ずんだ扉の向こうにあります。妖精源泉といっても妖精に変身する効能があるわけではなく、ただのイメージ的な名前ですけれど。
「本当にＴＳするんだろうな」
「左様ですわ。試しに、腕におかけくださいませ」
女装男が温泉のお湯を毛むくじゃらの太い腕にふりかけると、毛がきれいに消えて肌がつるつるになりました。
「おおっ、これはすごい！ ではさっそく入らせてもらうとするか！」
女装男はリモコンを手放して脱衣かごに入れました。
「さあ、浴室から出て行ってもらおう。このリモコンに手を触れるんじゃないぞ」
わたしが追い出されたあとの浴室から、女装男が湯船に飛び込む音が聞こえます。
「いいぞ、女だ、ＴＳだ……わ、わわっ、なんだこりゃああ！？」
なんと、女装男が高い悲鳴をあげています。
「腹が、下腹があっ！！」
わたしが浴室に飛び込んでみると、下腹部が大きく膨れた女性がひとり、湯船から這い上がってきたではありませんか！
女装男の変身した姿なのですけど……妊婦です。それも臨月状態の！ この温泉には子孫繁栄のご利益はなかったはずなのですけれど、どうして？
大女将が残していってくださった源泉リストを読み返してみます。
すると、妖精源泉の欄に、「白兎源泉とは入り合わせが悪いので注意」とありました。
妖精源泉のお湯は、白兎源泉を浴びた人物を溶かしてしまう効果があるとのこと。そして、人の溶けた妖精温泉に次に入った男性は、溶けた人物を身ごもる妊婦に変身ＴＳしてしまうとのこと！
思い出してみれば、ｉｎａｘ様の腕と足が白くほっそりしていましたけれど、あれは白兎源泉特有の変身ＴＳ効果。そうそう、白兎源泉というのは、源泉の近くに白兎の巣があるという意味でして、入ると白兎になる効能があるという意味ではございませんわ。ｉｎａｘ様はこちらにいらっしゃる前に白兎温泉をお浴びになってらしたのでしょう。そして、大浴場から裸のままこちらの温泉にお移りになって、妖精源泉の効果で溶けてしまったのです。
とどのつまり、ｉｎａｘ様は、女装男のＴＳしたこの妊婦のおなかの中に、赤ん坊として転生しているということなのです！！
「なんだこりゃ？ 俺、妊娠しちまったのか？」
「左様でございますわ。いいお子さんをお産みくださいませ」
「そんな無茶な……あああ、腹が、腹がいてえ！！」
激しい陣痛です。仲居さんのひとりに助産の経験があるというので、さっそく分娩に取りかかります。
「うわあ、いやだ、子供を産むなんて、いてえよお！！」
「女になりたかったのではございませんか？ 子供を産めるのは女性の特権ですわよ」
「それにしてもいきなり出産だなんて、心の準備ができてねえよ！ うぎぇええ！！」
泣き喚く元・女装男を、わたしが横でなだめます。
するとおよそ一時間後、元気な泣き声とともに赤ちゃんが生まれ出てきました。女の子です。
「ｉｎａｘ様」とわたしが声をかけると、赤ちゃんはいっそう大声を上げます。
産湯につからせます。もちろん、ふつうのお湯です。ここの温泉のお湯を使って、男の子にＴＳしたらたまりませんものね。
「私、これからは真面目に母親として生きることにします。この子を見てると、女性として生きる意欲がわいてくるんですよ」
「ええ、それでこそＴＳした甲斐がありますわ。仲居と子育てを両立させながら、しっかり更生してくださいね」
わたしは、元・女装男を当旅館の仲居として採用することといたしました。当旅館は慢性的な仲居不足でございますので。
なお、その日の夕方、警察のひとが事情聴取にいらっしゃったのですけれど、彼女の更生について深く説明いたしましたら、結局は不問にしていただけました。警察のひと、いい体格の男のかたでしたけれど、今では赤いランドセルから警察手帳を取り出してます（笑） そのうち、ｉｎａｘ様のよきお姉さんとなられるのではないでしょうか。
生まれ変わったｉｎａｘ様をごらんになりたい「ぶるる」読者のみなさま、そして仲居として働いてみたい方々も、ぜひＴＳ温泉郷の女珀館の門をおくぐりください！
最後に、わたしにこのような報告の機会を与えていただいた「ぶるる」編集部に心から感謝いたします。
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