真剣もし

作：こうけい


塾からの帰り道だった。
「あの人たちにも困ったものね」
有川志帆（ありかわ　しほ）は隣を歩く男の子、首藤瑞樹（しゅどう　みずき）に話しかける。
ふたりは中学受験本番を来年に控えた小学５年生。幼なじみどうしで、学校も塾も同じだ。塾の教室もいっしょで、５年生のトップクラス。成績はいつも志帆のほうが上だが、だからといってふたりの仲が悪くなることはなかった。
“あの人たち”というのは、塾のクラスメイトである３人組の男子、波月（はづき）、則村（のりむら）、美原（みはら）のこと。いつもつるんでいるこの３人は塾での成績は優秀だが、結構すれたところがある。
今日も３人は、成績表が渡されたときに講師の先生から注意された。この間の模試で、おふざけでいいかげんな志望校を書いたのがばれたからだ。
男子生徒なのに、偏差値の低い、それも女子校の名前を書いたのである。
「あいつら、本命校は確実に合格だから、ちょっとは判定で遊んでみたいんだってさ」
「でもそれって不真面目よね。本当にそこを志望しているひとに悪いわよ」
「そうだね。模試だっていってももっと真剣になってほしいよ」
「あのね、瑞樹くんだって同じでしょ。あたしはあなたのことも言ってるのよ」
そう、瑞樹も似たような理由で注意されていたのである。
「違うよ、僕は真剣だよ。志帆ちゃんと同じ中学にいきたいんだから」
「ちょっとちょっと、それが真面目じゃないっていうのよ」
志帆の志望校、百合杏（ユリアン）中学は女子校なのだ。それもかなり偏差値が高い。けれども志帆は合格確実圏をキープし続けている。
「心配かけてごめん。でもわかってるんだ。僕が女の子だとしても、今の成績だと百合杏は難しそうだって」
「がんばってね。……あたしと同じレベルの男子校に向けて」

やがて、いつもは横目で通り過ぎる神社が見えてきた。
「瑞樹くん、お参りしていこうか」
「……うん」
自然とふたりの気が合う。
（百合杏に受かりますように。そして……瑞樹くんと同じ中学に行けますように）
志帆は一心に願いながら、百円玉を賽銭箱に入れた。
寒空の下でも境内の木々の芽は着実に膨らんでいる。

神社を出てしばらく歩いたところで瑞樹と別れる。
その直後、別の顔なじみの男性が志帆の前に現れた。
「やあ、志帆ちゃん」
「塾長先生？」
志帆に声をかけた男性は、通っている塾の塾長兼主任講師、緋村玲次（ひむら　れいじ）だった。まだ３０代の若さだが、高校教師を退職してから個人経営で進学塾を開き、今年で３年目になる。
「神社に行ってきたんだよね、瑞樹くんといっしょに」
「いやだ、先生ったら見てたんですか」
「ああ。お似合いだったよ……失礼、ところで」
赤面する志帆を見て、緋村は話題を変えた。
「実はここの神社、先生の実家なんだよ」
「えっ、そうなんですか」
「兄さんが後を継いだから先生は家を出たんだけど、昨日から用があってここから仕事に通ってるんだ。ところで、志帆ちゃんが神頼みだなんて珍しいね。何かあったのかい？」
緋村に尋ねられて、志帆は今日塾であったことを話した。
「そのことなら先生のところにも報告が入ってるよ。なんとかしないとな。実は先生、親父からおもしろい模試を紹介してもらったんだ」
個人経営の小さな進学塾だから、大手と違って、各中学の合格判定を出せるデータを自前で持っているわけではない。合格判定の模擬試験は、外部のものを団体で申し込んで、塾の教室で生徒たちに受けさせているのである。
そして緋村は昨日、神主をやっている父親から、どういうツテなのかはわからないが新しい模擬試験サービス会社の話を聞いたのだという。
「今度はここの模試を受けてみよう。きっとおもしろい結果が出るはずだよ」
言いながら緋村はチラシを志帆に見せる。
「“真剣もし”？　変わった名前ですね」
「真剣にやらないと、痛い目に逢うらしいぞ」

一週間後、志帆たち５年生トップクラスの生徒は“真剣もし”を受験した。
結果の発表はその一週間後。緋村塾長自らの手から、教室で採点結果と合格判定表が渡された。
ところが、生徒全員に結果が行き渡ったところで、異変が起こったのだ。
「きゃーっ、服が！」
「なんだよこれ！？　どうなってるんだ？」
悲鳴をあげながら席から立ち上がる生徒たち。
それもそのはず、みるみるうちに彼ら彼女らの服装が変形している。
色とりどりのトレーナーやセーターが、紺やグレーといった落ち着いた色に変わっていく。同時に、布地も重くてぱりっとしたものへと変質していった。
とりわけ女子たちのボトムの変化が激しかった。パンツあり、スカートあり、パンツとスカートの重ねばきありとバラエティに富んでいた服装が、一様にスカートに形を変える。色が紺一色かチェック柄か、ノーマルプリーツかボックスプリーツかといった違いはあれど。
つまり生徒たちの服装は、中学校の制服になってしまったのである！
「やった、本命の制服だ！」
「あたしも同じよ！」
「きゃあ、うれしいね」
「俺も同じだぞ、第二志望だけど」
「あんたは来なくていい」
それぞれの制服を見比べながら、あちこちで話に花が咲く。
「おいなんだよ？　この制服」
「おまえの学区の公立じゃねえのか」
「そういやそうだった。ってことは俺は私立全部落ちるってことか、悲しいぜ」
「あーん、わたしも公立だよぉ」
全員が本命校の制服を着ているわけではなかった。第一志望の合格可能性が低かった生徒は第二志望以下の制服になったり、地元の公立中学になったり。
そう、この模試は、受験者の合格可能性を制服で判定してくれるのだ！
中には普段着姿になる生徒もいる。
「やった、私服の学校だ」
「制服ないなんてつまらないじゃないの？」
「いいんだよ俺は」
そして、変化があったのは服装だけではなかった。
「おまえ、そのひげどうした」
「あれ？　背が伸びてるよな、俺」
「胸大きくなってる、うれしいっ！」
だれもが一年分成長して、程度の差こそあれ中学生の身体になっていたのだ。
歓声と悲鳴が教室に飛び交う。

しかし数名、ほかの生徒とは違う悲鳴をあげる生徒がいた。
いちばん後ろの席に陣取っていた、波月、則村、美原の３人組だ。
「ひゃ、ひゃあああっ」
「なんだよこれ！」
ほかの男子の服装は詰襟の学生服や男物のブレザー制服だというのに、彼らの服装だけはセーラー服とスカートへと変わっていった。まるで女子たちのように。
「“ひらめき”の制服だ！」
彼らの試験結果通知には「ひらめき女子学園　判定　特Ａ」とあった。
ひらめき女子学園は、はっきり言って偏差値が低く、自分の名前が漢字で書ける女子なら合格するといわれている。厳しい校則が特色であり、勉強よりもまずしつけが必要な子が通うといわれる私立中学だ。
制服も、通う生徒たちの気分を象徴したものになっている。
しょぼんと落ち込みたくなるような、ダークグレーのセーラー服に黒いリボン。
胸には大きく丸いエンブレムが銀色に光り、だれもがひと目でここの生徒だとわかる。それがまた、生徒にとっては恥ずかしい。
当然、このクラスとは縁のないような学校である。
そういえば、試験前に彼らは言っていたはずだ。
「今度はひらめきって書いてみようぜ」
「おう、あそこもアレだからな」
試験に真剣に取り組まなかった報いがやってきたのだろうか。
「どうしてこんな服に？」
「あれ、声が……な、ないーっ！」
スカートの中に手を入れた美原が、甲高くなった声でうろたえる。波月と則村も同じリアクションをとった。
体も中学生女子のものになっていたのだ。
いつの間にか背中まで伸びていた３人の髪の毛が、生き物のようにふたまたに分かれ、三つ編みへと結われていく。
「うわああ、髪が勝手に」
「ひらめきの校則どおりになってるんだ」
不意に扉が開き、中年の女性が教室に入ってきた。そして、すっかり三つ編みが板に付いた３人組の前に立つ。
「あなたたち、こんなところで何をしてるのです。ほらほら靴下が乱れてる」
「なんだよあんたは」
女性はどうやらひらめきの教師のようだ。
なんのことだかわからないまま、女性ににらまれた３人は目を白黒させる。
「なんですか、その言葉遣いは。３人とも反省室にいらっしゃい。今日は雑巾縫い１０枚！」
「雑巾なんて縫えるかよ〜」
「ほらその言葉遣い！」
女子生徒になってしまった３人は、女性に教室から連れ出されていった。このまま、ひらめき女子学園の反省室に連行されるのだろう。
「あーあ、あんな中学行くくらいなら公立のほうがましよね」
だれかがつぶやいた。

志帆は、騒ぎがまださめやらぬ教室を見回した。
ひとり生徒が足りない。そう、瑞樹はどこに行ったのだろう。
捜さないと。志帆が席を立ったとき、教室の扉が開いた。
「みんな、これって……」
うわ言をつぶやきながらよろよろと入ってきたのは、志帆と同じくらいの背丈の中学生の少女だった。
ネクタイはほどけ、上着のブレザーも乱れているが、着ているのはまぎれもなく志帆とおそろいの制服。
少女はふらつきながら、志帆のほうへと歩み寄る。
「ぼく、……んなのこに……あれがなくなって……」
どうやら、異変に気づいてからトイレで体を確かめてきたらしい。
この子は瑞樹だ。志帆にはすぐに気が付いた。
背はもとの彼よりも数センチ伸びており、はだけたブラウスの下からは心なしか膨らみが見てとれる。女の子らしいふっくらとした顔つき。
けれども、確かに瑞樹の面影が残っていた。幼なじみにははっきりとわかった。
今、瑞樹が変身した少女が志帆の目の前に立つ。
「ああっ、志帆ちゃん。ぼく、どうしたら……」
「おめでとう瑞樹、合格したのよ。わたしと同じ中学なのよ」
「本当だ、うれしい……」
瑞樹の試験結果には「百合杏　判定　Ｂ」とあった。今までＣ判定しかとったことがなかったのに。
見つめあうふたりを、緋村塾長が見守っている。
「瑞樹も真剣にやったのね。よくわかったわ」
「うん、ありがとう志帆ちゃん」
「でもね、ほら、身だしなみはきちんとね」
そう言いながら、志帆は瑞樹のネクタイを優しく締め直した。

※この作品はフィクションです。
実在の人物、団体、学校、模擬試験等とは関係ありません。




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