赤村博士が新薬を発明した。
男性が飲むことにより女性に変身できるという、経口の性転換薬だ。
薬はすでに実験室レベルでは完成しており、あとは実用化に伴う諸問題を解決するのみだった。
研究所の実験室で、助手の竹森が博士に尋ねた。
「博士、新薬の仕上がりは完璧でしょうか」
「ああ、完璧だ。なにしろ男性がこの薬を飲めば、肉体が染色体、遺伝子レベルから女性に変化するだけでなく、指紋、声紋、その他あらゆる身体的特徴が別人のものに変わってしまう。そればかりか、身につけている衣服まで女性のものになってしまうのだからな」
「つまり、男性だったときの痕跡は完全に消えてしまうんですね」
「ああ、そういうことだ」

そのとき、助手の口調が突然変わった！
「わかった。これでもう、あんたに用はない！」
「た、竹森…！おまえ、何者だ！？」
「ははははは！俺はパープル国からのスパイだ！
赤村博士よ、新薬の製法と研究成果はこの頭にしっかりと記憶させてもらった」
「そ…そんなバカな！敵国のスパイだなんて！」
「あとはあんたを消すだけだ。寝言は地獄で言いな」
スパイの手には鈍く光るピストルが握られていた。蒼くなった博士は必死に説得を試みる。
「ま、待て！この実験室にいるのは私たちふたりだけだ。
私を殺して逃げたところですぐに足が付く。おまえは我が国の警察につかまるだけだぞ」
「そうならないために、この薬があるんだろう！」
言うが早く、スパイは新薬を飲み干した。
「俺はあんたを射殺したら、全く別人の女性に変身するんだ！
もしも俺に嫌疑がかけられて警察に連れていかれたとしよう。だがな、性別はもちろん指紋も靴跡も血液型もＤＮＡも犯行時とは変わっちまってるんだから、変身した俺がやったという物的証拠は何ひとつない。嫌疑不十分で無罪放免になるだけさ！」
スパイは博士の心臓にねらいを定め、引き金に指を当てた。博士は時間の引き延ばしを図ろうとする。
「ま、待て！この薬はまだ完成していないんだ！」
「は！？あんたがさっき、薬は完璧だと言ったろう！」
「そう、薬の効き目は完璧だ。だからこそ実用化ができていない、つまり未完成なんだ！」
「完璧なのに未完成？何をわけのわからないこと言ってるんだ！？さっさと死ね！」
そう言って引き金を引こうとした瞬間、スパイの顔が歪み始めた。
「う…うわあああっ！」
呻き声をあげて苦しむスパイ。どうやら薬が効いてきたようだ。
スパイの全身は白い煙をあげながらみるみる変化していった。

「……………」
「……………」
博士の目の前には、清楚なアンサンブルとミニスカートに身を包んだひとりの若い女性がきょとんと立ちすくんでいた。
女性の手からピストルがするりと離れ、床に落ちる。
「ここは…どこ？わたし、いったい何をしていたのかしら？」
つぶらな目をぱちくりさせながら博士をうかがう彼女に、男だったときの面影はまったく残っていなかった。
「お嬢さん。あなたはこの研究所に迷い込んでしまったのです。今すぐおひきとりください。出口まで案内しますから」
「…はい、わかりました」

女性を外に送り出して、博士はほっとため息をついた。
「そう、この薬はまだ完璧すぎて実用化には向かないんだ。
なにしろ男性だったときのすべての痕跡を消し去ってしまう。指紋、声紋、ＤＮＡ、服装はもちろんのこと、記憶までも完全に改変してしまうのだから…」